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 現代表に電話で恫喝されたあとも、瓦版句会にも編集会や校正会にも出席していた。もちろん前田先生がおられたからである。先生にはご心配をおかけしたくなくて、恫喝されたことは話していなかった。ただ、会のあと京阪寝屋川市駅まで先生を送らせていただく途中で、「(わたしは)いつまで瓦版にいるか分からない」と申し上げた。先生はわたしが何を言っているのか分からないというような表情をされたのね。

 恫喝のあとの編集会(校正会?)では、さすがに、現代表は自分の原稿をいつものようにわたしに「見てくれ」とは言えなかったようで、ほかの人に見てもらっていた。 現代表がチェックを頼むのはいつもわたしだったのね。現代表には、いつも数か所の間違いや疑問点を指摘してあげていた。こういう面ではいいように利用されていたのね。

 わたしの原稿は前田先生に見ていただいていた。前田先生は、達吟家と称えられるだけあって文章にも隙がない。当然のことながら瓦版誌の格調を落とさないよう、文章のチェックにも厳しいところがおありだった。わたしの文章は、ありがたいことに問題なしということで返されることがほとんどだった。

続きは次回

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