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 美学は「美とは何か」という本質、「どのようなものが美しいのか」という基準、「美は何のためにあるのか」という価値を追求してきた学問なのね。本来の意味から転じて、超越した信念を評するときに用いられることもある。たとえば「男(女)の美学」「サムライの美学」など。(写真:鴨長明)

 近代以前の日本には、西洋のように一貫した思索の集大成としての「美学」は無いのね。純粋な日本的精神による美学を主張したのは国学者の本居宣長(もとおり のりなが、1730-1801)。本居宣長は、「事にふれてそのうれしくかなしき事の心をわきまへしるを物のあはれを知るといふ也」と述べて、事象の本質を認識したうえで成立する感動を、「物のあわれ」としたのね。これを知る人を「心ある人といひ知らぬを心なき人といふ也」として、「もののあわれ」を知ることが人間が人間たるゆえんであるとした。宣長の思想は儒教の教えとは対立、芸術の自律性の主張をした点においても、近代精神を先取りする側面があったのね。

 なぜこんなことを書いているかというと、上記のことは川柳を含む日本文学に通底すると思われるから。話は少し逸れるが、バブル崩壊後一世を風靡した、中野孝次(なかの こうじ、1925-2004)の『清貧の思想』(草思社)を覚えていらっしゃいますか。鴨長明、吉田兼好、良寛らの簡素な生き方を紹介し、当時の日本人に猛省を促したのね。死語同然の「清貧」のことばをよみがえらせ、古人の生き方にふれることで日本人のこころの琴線にふれた。

 富貴(ふうき)と名利(みょうり)の俗を離れた古人の生き方を説いて、日本には「ひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある」と説いたのね。外国人に向けて話すという体裁だが、「みずからの思想と意志によって積極的につくりだした簡素な暮らし(生き方)」としての「清貧」を示したのね。

 日本人の少なからぬ人々が、時代の空気に何か違う、何かおかしいと感じていたとき、世の中の流れとは真逆のメッセージだったのね。バブル経済の狂騒をみてきた人々に、沁みとおるように共感が広がった。コロナ禍のいまは事情が違うが、あのときわれわれを揺さぶった「清貧の思想」はいまどこにあるのだろうか。やはりいまも日本人のこころのどこかに脈々と受け継がれていると信じたい。貧乏を恥とはしない考え方、生き方。それは先人が遺してくれた、日本人としての誇りにつながるものなのね

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