17日のつづきのつづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
・一代の五尺に足らず絵巻物 吉川雉子郎
・生きている証拠に飯を食っている ゛
新川柳改革後の川柳である。この作品は、小説家吉川英治の若かりし頃の作品である。古川柳の他人を第三者の眼で見つめる句と違い、己れ自身を己れで見つめている眼がある。新川柳改革は、古川柳の初期の最も文...【続きを読む】
17日のつづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
以上、五点上げたが、これらに対してどうすべきか。
第一に対しては、現在歴史的に見て、おそらく今が一番川柳人口の多いときではないかと思われる。理解者を得る土台が今出来かかっていると言えるだろう。現在の川柳界の対処によって、かなり理解者や実作者人口の未来は変わってくるように思われる。
第二は、これ...【続きを読む】
17日のつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
川柳がなぜ文芸らしくないのか、その理由として私は次のように考える。
第一に、川柳は数百年の時間を背負った短歌、四百年の伝統のある俳句に比べると、まだ歴史が浅く(ほぼ二百五十年)、理解者層に開きがあり、その数も少なく、実作者も少ない。
第二に、その表現が、例えば俳句と比べて卑近で通俗的であること...【続きを読む】
【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
現在、川柳は様々なメディアで取り上げられ、川柳人口も増大しているようである。しかし、他の文芸(小説・詩・短歌・俳句)の人、あるいは一般の方々から「川柳は文芸ではない」という言葉が時折聞かれ、またそのような漠然とした雰囲気が消えることはない。
では、その「文芸ではない」というところの文芸とは何か。...【続きを読む】
小西幹斉氏とサトイモ&サトイモのカンタン調理法
いただいた野菜に、それをつくった人の高潔な人格を感じたことがある。大げさなことを言うなと故人に叱られそうだが。川柳人・故小西幹斉氏に送っていただいた、土付きの穫れたての立派なサトイモがそれだったのね。ウナる(大げさではありません)ほどの美味。氏は前田咲二先生の親友だった。「幹斉が『あの人は句が上手...【続きを読む】
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