佐渡島に遠流(おんる)の順徳上皇の最期
順徳上皇の終焉の地 堂所御所(どうどころごしょ)跡。このあたりには何もなく、ただ石碑一基が立っているだけらしい。佐渡のこのような山奥に順徳上皇(第84代天皇)がいらっしゃったとは。仁治3年(1242)9月12日崩御。都に帰る望みがないのと、患ったことから断食、最期はみずからの頭に焼け石をのせて亡く...【続きを読む】
流刑地(るけいち) 佐渡島‥6月25日の 佐渡島吟行にそなえ、資料に目を通す
遺跡の出土品から、佐渡には1万年前から人が住んでいたことがわかっているらしい。「古事記」の国生み神話には大八島の7番目として登場。 奈良時代にすでに一国とされ、流刑地に定められた佐渡は、722年に皇室批判を行った万葉歌人の穂積朝臣老を始めとして、1221年に承久の乱で敗れた順徳上皇(写真上左)...【続きを読む】
つづき‥産経新聞(2018/4/22)に載った故・前田咲二先生に関係する一文「する? しない? どっちやねん」(論説委員「日曜に書く」清湖口 敏(氏)) を転載
人物像も、そこに書かれた略歴以外はほとんど知らないが、時事川柳専門の「川柳瓦版の会」の会長を務めたというから、柳壇でもかなりの実力者だったことは想像に難くない。
瓦版の会といえば、『道頓堀の雨に別れて以来なり』(田辺聖子著)の評伝でも知られる高名な川柳作家、岸本水府が創立した大阪の名門結社である...【続きを読む】
産経新聞(2018/4/22)に載った故・前田咲二先生に関係する一文「する? しない? どっちやねん」(論説委員「日曜に書く」清湖口 敏(氏) )を転載
論説委員 日曜に書く 清湖口 敏
「する? しない? どっちやねん」
俳句は若い頃に高浜虚子を師系とする結社に属して句作に励んだことがあるが、川柳の方はごくわずかの投句経験があるにすぎない。とはいえ関心がないわけではなく、川柳マガジンという月刊誌を今でも時々買っては、楽しく読んでいる。
強い印...【続きを読む】
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