続き‥江田島海軍兵学校のこと(咲二先生に伺ったこと)
海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)は、1876年(明治9年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関。(写真:海軍兵学校生徒館=現在の海上自衛隊幹部候補生学校)
イギリスの王立海軍兵学校、アメリカの合衆国海軍兵学校とと...【続きを読む】
江田島海軍兵学校とは、どのようなところだったのか (☆聞き書き)
川柳マガジン3月号(2013年)は川柳瓦版の会会長前田咲二特集。「柳豪のひとしずく」シリーズの中に入っている。(早くに新葉館出版さんから依頼されていたのに、やっと先生が承諾されたのね) 2月6日の句会に、大阪市中央公会堂内にて撮られた写真が表紙を飾っている。「頭」で作らず「心」で詠む、ということを...【続きを読む】
川柳の横綱・前田咲二先生の軌跡‥江田島海軍兵学校生徒(卒業)から読売新聞「よみうり時事川柳」選者まで
咲二先生からの聞き書きで、のちに咲二先生に確認した正確な履歴のメモがあるのですが。どこにしまったか、いま捜しています。こういうことは正確の上にも正確を期さないといけないので、そのメモから書き出していきます。(写真:昨年12月18日撮影、余命数か月と診断された食道がんのため入院されたときの咲二先生。...【続きを読む】
許せないこと
前田咲二氏死去/川柳作家 | BUSINESS LIVE – 四国新聞社
2017年10月11日 – 前田 咲二氏(まえだ・さくじ=川柳作家、本名作自=さくじ)9月27日午後7時57分、 食道がんのため大阪府寝屋川市の病院で死去、90歳。和歌山県出身。(以上は、本日たまたま...【続きを読む】
第22回 川柳クレオ川柳大会‥帰り、台風の影響でみさき公園(南海本線)にて足止め、タクシーでやっと帰宅
(23日、記す) 現在3時19分。(衆院選の結果をネットで見たところ。ほぼ予想通り) 昨晩みさき公園駅からタクシーで7時半頃(?)に帰宅後、疲れで寝てしまったのね。
地下鉄堺筋線天下茶屋駅までご一緒した柳友から留守電に電話が二回入っていた。そのうちまた電話をいただき、ご心配いただいたことに深く感謝...【続きを読む】
『時実新子の川柳と慟哭』(平井美智子編)から
2007年3月10日午前5時15分、肺癌のために逝去(享年78)。(Wikipedia)
時実新子氏の訃報に触れたのは同月26日、大阪・弁天町での 天守閣句会でのこと。川柳界にとって大きなニュースだったので、みな息をのみ、句会場が静まったのを覚えている。直接には氏を知らなかったわたしも、その名を...【続きを読む】
何ができるか
目覚めると、1時9分。何時にということなく泥のように眠ることが自分を癒す方法らしい。
できることを、よく考えて少しずつしていくほかない。「前田咲二」の名を遺すこと。作品が遺っていないのでは、それもむずかしいのではないか。いまなら作品が散逸していない。先生ご自身が、柳誌ほかすべてご自宅に整理して置...【続きを読む】
先生なのだろうか
現在19時49分。いつものドトールのあと、横のスーパーで買い物をして、雨の中を傘をさして帰ってきたのね。すこし胸が痛い。笑われるかもしれないのですが、雨の中を咲二先生と一緒に歩いてきたのかもしれないのです。昨日の淀屋橋のまぼろしの続きのように、先生がなんとなく、歩いているわたしの前におられるのね。...【続きを読む】
Loading...





































