見渡すと
ユダのこころを
みんな持ち‥‥‥‥麻生路郎(「旅人」より)
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父を想う(続き)
父が職業川柳人となった当時、私はまだ小学生で何も知らなかったが、今から思えばその頃だったと思う。母が心臓病で倒れたこと、調味料にもことかくような日もあったこと、書棚の本をかかえて古本屋へ行く父、何時もしてもらった誕生日のお祝いがして貰えなくて泣いたことなど、子供心にそうした事を今も覚えている。このような生活がどれくらい続いたかは覚えないけれども、私は世間の川柳家にこれだけは知って貰いたいと思うのは、父が他に職業がないからこの道を選んだのではないと云うことだ。
当時の高商を卒えた父が、他の職業につけばそれ相応の地位で迎えられたのに、五人の育ち盛りの子供を抱えてたべられない社会へ飛び込んだのだと云うことだ。それからどのようにして来たか私は知らないけれども、恐らく文字通りの苦難の道であったろうと思う。それがどうにか軌道に乗るようになった今日では「あれは川柳を食いものにしているのだ」と云う見方をしている人が、おそらく弟子の中にでもいたと思う。私は或る人から直接こう云うことを聞かされた。その人は詩人で純粋だからこそ、直接こうした事が云えたのだと思うのだが、父が或る人に謝礼金を請求したことを、職業人だからこそきたないと云われた。まさか今時、詩人だからと云ってカスミを食って生きていられるような人があったら、お目にかかりたい。(続く)
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近ごろ、私もつくづく思うのです。共感を得る句とは?と。私が好きな定金冬二の貧困や苦渋に身を投げ入れて作られた句など、は、そんな環境になくてもグンと胸に響いてきますよね。
仕事にも出ず、毎日家に閉じこもっている冬二を訝った近所の人が
「一体何をしているのですか」と聞いた。
「ハァ川柳を作っています」 と冬二。
「アァそれはいい。今は何を作ってもよく売れるでしょう」
この凄まじくも悲しい笑い話を笑えるか。
『切り株はじいんじいんとひびくなり』
『貧乏をさげすむ瞳だと妻も知る』
『かくて大地に人間のめし犬のめし』
『吊革に真夜中があるゆうらゆら』
(・_・)(_・ )(・ )( )( ;)( ;_)(;_;) 泣かぬ泣かぬ泣く
りょーみさすけさま
貧乏だから川柳が詠める。少し不幸せで、よい句ができる。
ど~んと貧乏、ど~んと不幸せでは、また書けない(かも)。
こころに余裕がなければ句は詠めないからね。清貧を誇りに生きるのが、詩人。貧乏も清貧と受け止められることが、詩人であることの条件。
定金冬二の句も、そのうち取り上げます。(^^)