右ひだり独りをかばうてのひらだ 森中惠美子
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7日、瓦版10月句会の帰り、南海電車の中で6日の大会で頂いたばかりの森中惠美子句集「水たまり春秋」を読む。さっそく鉛筆で薄く印をつけて、ブログに掲載する句を選ばせていただいた。川柳を熱く生きてこられた女王82歳の現在地。まっすぐ心に届く「本格川柳」。下記、読んだうちからまず10句抄出。すべてが名句。敬意を込めて。
仏さんのかたちで滝が落ちている
独りにはひとりの足場組む女
老いという風に蹴られてよく転ぶ
経をよむ棘をなくした名が並ぶ
男たちよ高い高いをしてあげる
たまご割るひとりの音と戦うか
寒い道ふり返るとき名を惜しむ
他人さんの手で運ばれる時が来る
よろこびもかなしみからも帯を解く
手も足も男の都合にはさせぬ
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「ある一日の観察」
二分おきで行き交う電車、それを単調に指サインで見送る駅員、左から右へリズムを変えず20回同じことを繰り返している。エライなと思う。
「樹を斃す駅の売店発狂す」
さてこんな句はどうでしょう?
「ドッジボールで死んでしまった15歳」 (T_T) ウルウル
りょーみさすけさま
いろいろと句会を遍歴して、最後にいわゆる伝統川柳に近い辺りに落ち着くとしたら、それはホンモノ。
革新とか、伝統とかいうコトバも、1句の前には意味を持たない。
《よろこびもかなしみからも帯を解く》
ところで、遍歴途中のような(?)下の2句、誰の句ですか?
姉さんからの質問事項2点会見のときに答えます。いつものように句の寸評を下さい。句をもうひとつ
「窓の向うを通る柩の名を知らず」
りょーみさすけさま
樹を斃す駅の売店発狂す
ドッジボールで死んでしまった15歳
上の句は、何もない。何も残らない。
窓の向うを通る柩の名を知らず
この句は、まあ分かるかな。ちょっと昔で、柩が、家から何かに載せられて焼場まで運ばれて行くのね。その状景が出てくる。柩の中の死者と作者との関係を、「(名を)知らず」と、内容的に些か詠嘆。同時代を生きていても、殆どはこのように触れ合うこともなく消えてゆく。
そういうことへの感慨ってありますよね。
ありがとう。よくわかります。またお願いします。d(^0^)b
りょーみさすけさま
おやすいご用だよん。あきこ的解釈ですが、いつでもどーぞ。(^^)