曼荼羅はさかさま転げ出たきのう たむらあきこ
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咲くやこの花賞、「なかなか入選しない」という声(苦情?)が投句者の方がたから聞こえてくる。常識を無難に纏めることだけに気を遣っているような句では、入選はむずかしい。
事実をなぞっていても句にはならない。事実をすべて放棄しても句にはならない。いま生きていることが事実なのだから、その事実に加えて奥の真実を掴み取って書くこと。自分のいまある位置を位置としたうえで、虚構へと想念を飛躍させる。現実に足をつけておかないと、浅くて甘いただの絵空事にしかならない。要は自由闊達な詩精神に五七五の形式を取り入れ、自在に表現すること。川柳は報告ではなく、表現の器なのである。
一般論として、川柳に何を書くかではなく、何を書かないか、書かないものを一句にどう含めるかも一つのポイントになる。すべて書かなければ気が済まないような饒舌な句ではいけない。喜怒哀楽を安易に抒情化することも避けなければならない。書かないものを読者に伝えうる句をよしとしなければならない。普遍的な実生活の諸々に深層心理を重ねて、真実を掴みだすということを考えていかなければならない。
ときたま目を通す柳誌に、いわゆる添削コーナーのようなものがある。その添削を見る度、原句のよさを損ねていることに痛みを覚えずにいられない。原句のよさを生かし、さらに発展させることのむずかしさを思わずにいられない。原句を確かな眼で読み、よりよく発展させることのできる力量がなければ添削などはすべきではない。分からなければ謙虚に原句に戻ることを、常に自分に戒めなければならない。他の短詩型とおなじ、川柳も句の読みから始まる。
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