短歌を詠み始めたのは12歳の頃。初めて新聞の地方版に投稿して入選、掲載されたときの嬉しさを覚えている。ほかにエッセイ、俳句、詩と書いてきた。川柳は、どんな世界だろうかという興味から地元和歌山市の川柳結社を紹介していただいたのが始まりである。短詩型文芸のすべてを知っておこうというくらいの軽い気持だったため、まさかのめり込むとは想像すらしていなかった。
渕田寛一氏の「番傘川柳つくし会」に参加させていただいたのが1999年。しばらくしてたまたま頂いた柳誌に載っていた川上富湖氏の<路郎賞>受賞の連作に影響を受け、後に「川柳塔わかやま吟社」に入会することになった。川柳塔系の句が合わないこともあり、11年ほど同人として在籍したが一昨年退会。いまは川柳瓦版の会同人として多くの句会大会に参加、幅広く勉強させていただいている。
川柳の世界のよいところは、所属する結社以外にどこへでも自由に参加できること。以前は番傘系の句会と川柳塔系の句会は交流しないようだったが、いまは本社が交換選者を出して交流している。どの句会に行ったからといってどうこう言われる時代ではなくなった。575の定型のほかに枠のない自由な世界であることは、創作者の側からすればこれ以上素晴らしいことはない。
私は所謂「詩性川柳」を書いている。何ものにも囚われずにこの詩型をつかってこれからも創作していこうと考えている。どんなにでも開拓の余地があるように感じられるところに、川柳の魅力はある。下は瓦版7月号「咲くやこの花賞」の入選句の上位から10句。川柳の方向の一つを示すべく、川柳瓦版の会が創設した難関の賞である。
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嶋澤喜八郎選「絵」
天
絵に厭きて動物園へ行ってみる 河村 啓子
地
満ちたりた日は橙に塗り潰す 田口 和代
人
淋しさの具象抽象描き分ける 森吉留里惠
最後の朱どこに入れよう私の絵 上山 堅坊
少年の戯画もんもんと獣めく 美馬りゅうこ
聾の子が描く自画像のでかい耳 鈴木いさお
どんな絵を描いても青空に負ける 橋倉久美子
雑音のない世界へと行く絵筆 松下ヒロス
デッサンが狂って私らしくなる 岡本 恵
飛び込んで答えをさがす抽象画 立蔵 信子
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本名は正通、通称は八右衛門、最初の号は無名庵→浅草の地主の子に生まれ、邸宅の前の柳の木をわが身にとらえ39歳の時、号を川柳とした。
『木枯や跡で芽を吹け川柳』が辞世とされている。
「飛び込んで答えをさがす抽象画 立蔵 信子」
彼が点者として活動し始めた宝暦7(1757)年から256年、やはり川の如く紆余曲折を経て今日に流れ着いた川柳は、かなり変わった顔になってしまいましたが、きっと喜び笑っていることでしょう。何と言っても「川柳」なのですから。[壁]`∀´)Ψヶヶヶ
りょーみさすけさま
暑いですねー。
いま帰ってきたところ。(友だちと喫茶店)
海外旅行ばかりしている友だちですが、いま一つ生き甲斐になるような趣味がないような気がする。その点我われは川柳を見つけて生き甲斐を貰っているわけで。
柄井川柳さまさま。
熱中症にならないように。(ちょっと歩いただけで、フラフラにゃ)
こんばんは(^^)
短歌、俳句………でも川柳に来る人はあまりいないような………でも本当は川柳こそ文芸の真髄だと思っています。
そう言うと、短歌、俳句の方々にお叱りを受けそうですが、内容ではなく、句会、大会の在り方、ガチンコ勝負なところです。
短歌、俳句の句会はある程度ガチンコ勝負でしょうが、大会は事前投句がほとんどで、ガチンコ勝負ではない。川柳のガチンコ大会を知ってしまうと中毒になる~~のだと思うのです(^^)
伊東志乃さま
ガチンコ勝負、ですか。(笑)
そうですねー。それが川柳の魅力。
もう戻れない。俳句も短歌もどこかよそよそしく格好をつけていると感じられてくるのが不思議ですね。(ナイショ)
長く(2年ほど)川柳が分からなかったのですが、いまは逆になってしまいました。