自分の人生の残り時間を考えることに意味があるだろうか。なんとなく過ぎてゆく日々1日ずつの重みを、ふだんはあまり意識しないが、たまに考えることがある。
もちろん、人生はだれにとっても有限。この先の自分の人生を大切にするためにも、残り時間についてすこし考えてみたい。女性の平均寿命は87歳くらいらしいが、そこまで生きられるとして、365×87=31,755、31,755日が生きていられる日数ということになる。これに24を掛けて、762,120時間が平均寿命を生きる人の持ち時間なのね。あきこの場合、365×14×24=122,640、122,640-24×13=122,328、122,328時間がいま現在の残り時間となるのね。(※平均寿命とは0歳の人の平均余命を言うので、平均余命表(2022年、厚生労働省)だともう少し長くなる。)
人生は有限。人はいつか死ぬので当たり前だが、そのことをあまり意識していない人はあきこを含め多いのではないか。しかし一昨年去年今年と、友人知人の訃報を聞かない年はない。癌など重い病を患うと余命を意識、残された時間をどう過ごすかを真剣に考えはじめるようだ。昨年亡くなられた畏友も、毎日を大切に、真剣に生きておられた。さいごの著作の完成に向けて打ち込んでおられたのね。余命を意識して病と闘った畏友の一日とあきこの一日はおなじ24時間だが、その重みが違っていたのね。
人生のさいごは、何にも煩わされない、こころのままに生きられる“自由時間”でありたいもの。残り時間をライフワーク(川柳)にどれくらいかけられるか。この仕事がこの先どれほどの価値を生み出していくのか否か、それを考えてもしかたがない。やれるだけやってあとを繋いでもらうしかない。
この先いま以上に医療が進歩し平均寿命ものびてゆくとすると、人生100年はまったく現実味を帯びてくる。人生は今日という一日の積み重ねでつくられるのだから、いまを充実させるほかない。過去には戻れないし未来も分からない。確実にあるのは“いま”という瞬間だけなのだから。
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