23日。七尾市内循環バス(等伯探し、まりん号)を降りたが、昼食にはまだ時間が早いのね。七尾駅周辺を歩いたが、頃合いの喫茶店などもなく、七尾駅11時??分発金沢行の普通電車を駅で待つことに。等伯に関する資料を読みながら時間待ちをしたのね。
途中の高松駅下車。鶴彬の故郷なのね。少し歩くと下り坂、そこから日本海が見えるのね。《暴風と海との恋を見ましたか》(鶴彬)の句を思い出した。やはり、こういうことも歩いてみないと分からないのね。
まちかど交流館↝浄専寺↝鶴彬生誕地と、迷いながら歩く。まちかど交流館では、オニギリの昼食(550)。浄専寺の句碑は《胎内の動き知るころ骨がつき》。帰りの時間のことがあるので、生誕地の《可憐なる母は私を生みました》の句碑を見たあと、高松駅に戻る。
高松↝金沢↝大阪↝新今宮↝和歌山市。まだバスがあったので、乗車。帰宅は21時前だったか。ちなみに、鶴彬が29歳で獄死した1938年は、国家総動員法施行。翌年、第二次世界大戦が始まったのね。
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あきこ 様
鶴彬も訪ねられたのですね!まちかど交流館や浄専寺など
よく回られました。
鶴彬大賞の選をここ3~4年前からさせていただいてますが
29歳の若さで獄死には身がつまされる思いです。
当時としては勇気のある人物だったことが今更ながら強く
感じられます。私のいとこ丹羽又平(歯科医・旧高松町長)が同町なので
よく鶴彬(喜多一二)のことを話してくれましたが、もっと詳しく
聞いておくべきだったといま思い出しております。
「うたた寝は弁証法を屋根に葺き」ほか「欠伸から追分も出る
仕舞い風呂」など親しくしていたことをよく聞いていました。10/26加久
赤池加久さま
鶴彬の生家が海に近くてびっくりしました。
塀の中に、たいせつに囲むように句碑があるので、喜多家の方々のお気持ちが分かるようでした。惜しまれた方だったのね。
(たぶん?)外部から来られる方のために、入りやすくはしていただいているのですが。
正直で、真っすぐな心をもった鶴彬だったと思います。
痛ましすぎますよね。