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 文学を広く考えれば、人間の“生き方”を探求する学問ととらえることができる。”文学する”とは、人間のつくりあげてきた文化全般(芸術全般)を探求することだと思うのね。

 文学はただ生きていくうえでは必要のないものかもしれない。しかし、みずから創作することはなくても、文学を味わい楽しむちからを人間は持っている。また、言語をつきつめ、正確なことばで考えや思いを伝えることは、日常生活においても必要なことである。

 川柳の魅力は、思ったこと感じたことを、なんでも自由に表現できるところにある。 紙と筆記用具さえあれば、あとは自身の内側からあふれてきたものを5・7・5にまとめるだけ。俳句と違って季語もいらないし、しゃべっているような感覚でのびのびと詠んでいけばいいのね。

 俳句は文語がふつうだが、川柳はごく平易な話しことばでいいのね。俳句が主に自然の風物を詠むのに対し、川柳は”にんげん”を詠む(詠み込む)ということ。いま現在を生きるわれわれは、持って回ったような文語ではなく、飾り気のない生のことばすなわち口語で余すところなく表現すればいいと思うのね。
 
 明治になって、狂句に堕ちていた川柳を文芸として復活させようと「新川柳運動」が起こったのね。そこから現代川柳に繋がる川柳の流れがでてきた。
 
 あきこの川柳も、その流れの中にある。川柳の作句にあたっては、まず固定概念を外す。川柳では、表面にでていることは疑ってかからないといけないのね。いわゆる”批評の眼”。そのうえで句に伝えるべき内容・真実があれば、他人(ひと)を驚かせ納得させることができるのね。
 
 あきこは、両親の影響で12歳から短歌、あとエッセイ、詩、俳句と、途切れることなく短詩文芸にかかわってきた。川柳へは、「これはどんな世界だろう」というほどの気持ちで覗いてみたのだった。正直、先入観もあり、それまでは世間一般同様短詩文芸の中でも一段下に見ていたのである。川柳開眼は、一年ほど経ってからのことだった。
 
続きは次々々々々々回

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