存在とは「あ(在)ること」、あるいは「いること」。また、そのある(いる)何か。他の何かに依存することなく、それ自体としてあるもの、ものの本質。”現象”として人の意識に映じているものや人が経験している内容よね。
「いったい何が“ある”のか?」や「“ある”とはどういうことか」ということは、哲学のひとつの究極の主題だったとも言えるのね。ヨーロッパ哲学は基本的に存在論だったとも言える。東洋では、インドで、”無”と関連づけられつつ”有”が探求された。
われわれが常日頃抱えている不安とは何なのか?「対人関係」や「病」や「老い」などにつきまとう不安からぬけ出すにはどうしたらいいのか。哲学者キルケゴールは、不安の対象は“無”であるといっているのね(『不安の概念』)。出来事によって不安になるのではなく、じつは何でもないこと”無”が人を不安にさせるのだと。
不安とは主観的なもので、気持ちの持ちようで解消できるようなものかといえばそうではない。身の回りに不条理なことは多々ある。●陽銀行での投資信託押し売りもそうだった。しかもこの●陽銀行は和歌山県と和歌山市の指定金融機関なのである。目をつむれば不安は解消するわけではない。昨年2月●陽銀行の(手の込んだ、詐欺的)押し売りに遭ったことで、1年以上経ったいまも不信と不安が続いている。
上記のような災難や病気というようなことでなくても、対人関係に疲れてしまって人との関わりを避けようと思うなどのことはよくあるだろう。どんなかたちでも、人生で一度もつまずかなかった人はいない。人と関わればかならず摩擦が生じる。関われば、裏切られたり憎まれたり、傷つくような経験をだれもが避けることはできないのね。
悩みの多くは対人関係の悩みであると言っていいのではないか。対人関係でつらい経験をした人は、また同じことを経験したくないと思って対人関係を避けようとするかも知れないのね。そこのところを、”存在不安”として詠んでみたいと思う。いくらかはわたし自身のことでもあり、いま増えている引きこもりの人たちの思いでもあるかも知れない。
不安とは主観的なもので、気持ちの持ちようで解消できるようなものかといえばそうではない。身の回りに不条理なことは多々ある。●陽銀行での投資信託押し売りもそうだった。しかもこの●陽銀行は和歌山県と和歌山市の指定金融機関なのである。目をつむれば不安は解消するわけではない。昨年2月●陽銀行の(手の込んだ、詐欺的)押し売りに遭ったことで、1年以上経ったいまも不信と不安が続いている。
上記のような災難や病気というようなことでなくても、対人関係に疲れてしまって人との関わりを避けようと思うなどのことはよくあるだろう。どんなかたちでも、人生で一度もつまずかなかった人はいない。人と関わればかならず摩擦が生じる。関われば、裏切られたり憎まれたり、傷つくような経験をだれもが避けることはできないのね。
悩みの多くは対人関係の悩みであると言っていいのではないか。対人関係でつらい経験をした人は、また同じことを経験したくないと思って対人関係を避けようとするかも知れないのね。そこのところを、”存在不安”として詠んでみたいと思う。いくらかはわたし自身のことでもあり、いま増えている引きこもりの人たちの思いでもあるかも知れない。
Loading...


















































