『おくのほそ道』は、江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉が5ヵ月かけて旅した記録をもとに創作した紀行文。語り手は「予(よ)」と自称するが、芭蕉本人であるとはどこにも書かれていないのね。芭蕉は「予」を、西行を追慕する旅びととして造形しているというのね。 御堂筋、南御堂の前に芭蕉翁終焉の地の石碑がある。芭蕉は、51歳の人生を終えるすこし前、元禄7(1694)年9月に大坂を訪れているのね。
此道や行人なしに秋の暮
芭蕉のこの句には、旅びとのなんとも言いようのない寂しい気持ちがにじみ出ている。この道は自分の一生の道であり、俳句において自分が歩んできた道。ところが、いまこの道を行く人はいないと。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
急な病に仆れた芭蕉の、これがさいごの句。病床でも俳句への思いはとまらない。10月12日(陰暦)、南御堂に近い「花屋」の離れで門人たちに見守られながら逝くのね。
あきこごときを芭蕉と比べるわけにはいかないが(笑)、『たむらあきこ吟行千句』は「川柳における『おくのほそ道』」を意識しなかったわけではない。つぎの『たむらあきこ吟行千句Ⅱ(仮)』がもし出せるなら、紀行文のかたちをとるかもしれない。
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