
11月24日、文化祭川柳大会の翌日は 浅草寺吟行の予定。23日、近くに宿泊の予定なので、今回は周辺を吟行してまわることに。吟行は、まずその地の歴史を知ることから始まる。下記は、浅草寺の歴史。
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大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。
雷門(風雷神門)かみなりもん(ふうらいじんもん)
風神・雷神が守護する浅草寺の総門
「雷門」と書かれた赤い大提灯。浅草のシンボル・雷門の前は、記念写真におさまる国内外の人びとでいつも賑わっている。
雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」という。その創建年代は詳らかではないが、平公雅が天慶5年(942)に堂塔伽藍を一新した際、総門を駒形に建立したと伝わる。
風雷神門の名は、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。総門が現在地に移ったのは鎌倉時代以降のことで、移築の際に風神、雷神を安置したとも考えられている。風神と雷神は名のとおり風雨を司る神であり、風水害を除け、伽藍を鎮護するために祀られた。同時に、風雨順時と五穀豊穣の祈りも込められている。
風雷神門がなぜ「雷門」と呼ばれるようになったかは不明であるが、文化年間(1804~18)の川柳に、「風の神雷門に 居候」という句が見え、この頃には雷門という名称が一般化していたようである。
雷門は創建以来、幾度も焼失と再建を繰り返している。現在の門は、昭和35年(1960)に松下電器産業(現パナソニック)社長・松下幸之助氏の寄進により、再建された。当時、松下氏は関節痛を患っていたが、それを聞いた当山中興第24世清水谷恭順貫首がご本尊に祈願したところ快復し、その御礼の意を込めて松下氏個人で寄進されたものである。江戸時代の様式を生かした造りであり、堂々たる風格を漂わせている。
慶応の火災の際、風神、雷神像は頭部のみ難を逃れ、明治7年(1874)に身体部分を補った。昭和35年の雷門再建の際に、常盤堂雷おこし本舗社長・穂刈恒一氏の懇意により、補修・彩色されたのが現在の像である。
また、雷門の北の間(風雷神像の背後)に安置されている天龍像と金龍像は、水を司る龍神であり、浅草寺の護法善神である。昭和53年(1978)、松下グループ有志の寄進で、両像は平櫛田中、菅原安男両氏の作である。
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