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 中国では、白が喪服の色であるため、白い色が死を連想させやすいのだとか。日本でも、西洋の文化が入ってくるまでは喪服も死装束も白だったのね。

 死と数字について。日本など漢字文化圏の国では、数字の四の読みが死を連想させることから、ホテルの客室番号などでは「4」が避けられるのはご存知の通り。さらに、日本では、数字の42の「し・に」の読みが「死に」に聞こえるとして、先の客室番号やナンバープレートなどではこれも避けられるようだ。

 元来、人の死を、人々は日常的に自分の眼で見ていたのね。死がつねに隣り合わせであった時代には、死に対して密接で現実的なイメージをもっていた。だが、こんにちの日本を含む先進国では、病気や怪我による死は病院で、老衰による死は老人ホームでなどと、死はわれわれの日常から切り離されているのね。したがって、死について曖昧模糊としたイメージしかもてない傾向があるという。

 死は、「開放」と受け止める人もいる。あきこの一行詩(川柳)は、「生と死のあわい」にいる感覚から生や死を詠んでいることが多いのね。じぶんのたましいが、いつもふわふわと、その辺りをさまよっているような気がする。

 川柳に限らず、仕事でもなんでも、きちんとやろうと思ってこれまでやって来た。少しでもいい仕事をと考えるから、時間はかかったのね。川柳でも、推敲は数えきれないほど。川柳作家として、根源的な孤独(絶対孤独)を受け入れることから始めなくてはと思ったのね。口先だけではない、ポーズだけではない一句を目指すには、向き合い、そこを超越して歩かなくてはと思った。そういう姿勢の川柳作家だけが、にんげんの深奥を詠む川柳の、未踏峰に達することができるのではないかとも。そのときの立ち位置がやはり「生と死のあわい」なのかも知れないと。

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