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「総括」
 二〇一〇年七月、つかこうへい氏が逝去したとき、友人、知人に宛てた遺書が公開された。簡にして要を得るとはこのことかと思えるほど、短いながら氏の真情が心を打った。その時の感動が、いずれ私も家族や縁を持った友人、知己に宛てて、一文を書き遺しておきたいと思う契機になった。書き出しの一文に、生涯を振り返ったときの万感の思いが凝縮されている。

  思えば恥の多い人生でございました。

 私自身こうして遺書めいた駄文を書き連ねているが、勿論、死を目前にしたつか氏のような切迫感はない。あくまで遺書擬きに過ぎないのだ。が、それにしても、私自身も思い返すだけで紅潮し、身を捩らせるような恥の数々を忘れることができない。確かに、思えば恥の多い人生だったのだ。つか氏の一文を援用して、私なりにまずは書いてみる。

 思えばかわい気のない子供でございました。

 幼い頃、私を喜ばせようと思って誰かが「これあげようか」と言ってくれても「かまん」と答えてニタニタしているだけだった。「ありがとう」と小躍りするほど喜んだり、また逆に「いらん」とぶっきらぼうに意思表示をして、大人たちの微笑みを誘う訳でもなかった。あるいは女の子なら、もじもじして俯くのも許されたのだろう。遠い日の記憶だが、母はこういう私を歯痒がった。なんとも煮え切らない、無邪気さのない、かわい気のない子供だったのだ。
 ……
 頑迷固陋、傲岸不遜、小心狷介、偏狭屈折。四字熟語で表してみた現在の私である。年齢とともに角が取れて丸くなる者も多いが、逆に本来の気質、つまり角が露になる者もいる。私は後者であり、世間、人間関係なるものが、一層煩わしくなる一方である。若い時は、世間の規範に合わせる努力も多少はしたが、年とともにたがが外れ、ますます面倒になってきている。そのため礼儀を欠くことも甚だしい。過去の非礼も含め、これを機会に詫びておかねばならない。
 ……
 恥多き人生、また数々の非礼、それもやがて時が決着をつけてくれるだろう。肉体的な死とともに、すべては永劫の闇の世界に消えてしまうのだ。そして私も最後の死に方だけは「かまん」ではなく、自分の意思を明確に示しておきたい。まだ自己の意識が明晰で、気力も残っているうちに、独善的で自分勝手な人生を生きた者に相応しいと思える最後の迎え方を、家族に遺しておきたい。私が生きてきて確かになし得たと言える一つの価値は、命を次の世代に繋ぎ、またその次の世代に繋がったことである。家族には感謝するとともに、以下、最後の我儘を書き遺すものである。

 ピンコロが理想ではあるが、もし病気に臥すことがあれば、先端医療、過剰医療、延命治療の必要はなし。ごく常識的かつ一般的な範囲に留めるべし。もし安楽死が法的に認められていれば、安楽死を望むものである。

 葬儀の必要はなし。誰にも連絡せず、ただ通夜のみを、妻、二人の娘、都合がつけばそれぞれの配偶者、孫三人だけで執り行ってほしい。葬儀会館の一室で、簡素な神式の祭壇を設け、一晩見送ってほしい。神主は呼ぶ必要なし。翌日、葬儀は行わず、時間が来れば火葬場に直送すること。死後の埋葬は両親の眠る墓にはこだわらず、妻の意向を第一に、残された者の都合よきようにすること。樹木葬が今治でも一般化しておれば、それも考慮の対象にし、その際には、桜の木を一本植えてほしい。くれぐれも年祭等の法事の類は、一切行う必要なし。

 親戚、知己、友人が後日お悔やみ等に来てくれることがあっても、丁重にお礼を申し上げ、一切の御香料は固辞し、渡した方がいいと判断した場合は、この冊子を渡してほしい。以上。

 過ぎてみれば、一切はすべて夢のまた夢。思い出は走馬燈のように駆け巡るが、あっと言う間の出来事だった。生まれ、婚姻し、子を為し、食べるために生き、老いた、いずれは酔生夢死の一生。満七十歳の誕生日を目前にし、書き遺すものである。(原文ママ)
…‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥……
 氏から一昨日送ってきていただいた『酔夢譚』を熟読。その中の「総括」だが、「父と母」にも心を打たれた。一人の男性の生きざまとして受け止めさせていただいた。氏には、いま川柳が傍にあることを喜びたい。5月号の川柳マガジン「睦月賞」に氏(越智学哲、ペンネーム)の特選句を見つけたので、それを記しておく。

人恋しことさら冬の窓明かり (長浜美籠選「冬」)

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⦅11⦆『川柳ならびに書き遺すこと 酔夢譚』(越智 哲朗、2017年8月15日発行)より、「総括」”にコメントをどうぞ

  1. 越智学哲 on 2022年4月27日 at 9:59 PM :

    こんばんは、あきこさん
     先日は「たむらあきこ吟行千句」へのお礼と感想の手紙のアップ、ありがとうございました。御本をいただいた嬉しさのあまり、高揚した気分で速攻で書いた文なので、舌足らずだったのが悔やまれます。特にあきこさんの畏敬する師である前田咲二氏に触れた生意気な感想には、恥じ入るばかりです。
     またこの度は、拙著の紹介のアップ、望外の喜びです。主に同期生を中心に謹呈させてもらったのですが、地元の一部の柳友を除き、柳人の方には読んでもらっていません。あきこさんに送ってみてよかったとつくづく思いました。
     「氏には、いま川柳が傍にあることを喜びたい」との心に沁みる励ましの一文、また川柳マガジン誌上での私の句の紹介、嬉しく思います。私は散文的な発想しかできないので、川柳はなかなか上達せず、頭打ちです。没句の山ですが、楽しい。川柳は孤独ではないのです。柳界というほんわかとしたものに包まれているような感じなのです。
     今後ともよろしくお願いします。存在自体が励みになる、あきこさんは私にとってそういう人です。感謝。

  2. たむら あきこ on 2022年4月28日 at 6:10 AM :

    越智学哲さま
    あなたは正直なかたで、真情を吐露された率直な文章を読ませていただき感動いたしました。
    また、めったに書かれないのであろう自筆のお手紙がありがたく、ずっとたいせつに保存しておきます。
    おなじ想いのかたは、たぶん少なくないと思いますよ。
    川柳は、「ほんとうのことを言う文芸」なので。
    われわれの年代からは、もう歯に衣を着せることもなく生きていけばいいのだと思うのね。
    よいご家族に囲まれておられるようで。
    それで十分、あとはときどき文章を書き、句を詠んでという余生でいいのでは。
    あきこは、まだ、川柳をたたかっているという姿勢ですが。
    いろんな向き合い方があっていいと思っています。

    また、そちらのほうに行ったときにでも、(時間があれば)すこしお話ししましょう。
    お電話をいただければ、川柳談義もいつでもOKよ。

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