新約聖書の中に、イエス・キリストが「癒やした」という記述がなんども出てくることは知られている。「癒やす」は、宗教的な、奇跡的な治癒を行う意味で使われているのね。日本の、1990年代だったかの「癒やしブーム」以降、このことばは生活になじみ、多様な用い方をされてきているようにみえる。癒やし系、癒やしグッズなど。ストレスやうつ病など、慢性的な心的疲労のある人に、一時的な効果が得られるとされることを「癒やし」というのね。
「癒やしブーム」の背景には、とくに病んでもいない多数の人々が、「癒やされたい」という欲求をもつようになったことがあげられるだろう。癒やしの特徴、特性をもつ人やモノなどを癒やし系と表現するのね。また「ほんわか」「ふんわり」とした、和ませる雰囲気がある人をさすことばとしても定着しつつある。
どうしようもなくこころが弱っているときは、何も考えないのがいい。わたしはときどき谷川俊太郎(など)の詩に触れているのね。かれの詩には、たましいに響く孤独感がある。人の孤独は、他人の孤独すなわちかれの書くような詩によって癒やされることがあるのね。かれの詩には、わたしの川柳にも通じる悲しみあるいは哀しみがみえるのね。下記の有名な詩「生きる」にはとくに「意味」はない。詩にポエジーは要っても、意味を必要とするとは限らない。疲れたとき弱っているときには、そんな詩がとてもいいのね。人と人の間はことば。癒やすのも癒やされるのもことばなのね。
生きる 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎていくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
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