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 短歌は、〈5-7-5 7-7〉の型に構成された、5つの部分からなる詩の形式。前半の〈5-7-5〉(上の句)と後半の〈7-7〉(下の句)のあいだで調子や題材に転換があるのがふつう。奈良時代に、それまでは中国から借用した形式による詩がほとんどだったが、そこから抜けだしたのね。13世紀までに短歌は日本のもっとも有力な詩型となった。連歌といわれる多人数による短歌の連作も行われたのね。また短歌形式で風刺や滑稽を盛り込んだものは狂歌と呼ばれるのね。

 一行詩は風刺の強い媒体になりうる。韻文で放たれた侮辱の一矢は、散文で書かれたものより強く記憶に残るものになるのね。平安時代より狂歌が書かれ、匿名で掲示して政治批判などを行う落首(らくしゅ)の慣行があった。寛政の改革を諷(ふう)した《白河(しらかわ)の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき》はよく知られている。現代は、時事川柳が主に政治を諷しているのね。

 また、挽歌(ばんか)という語は中国で棺車(かんしゃ)を挽(ひ)く時に歌われた歌なのね。日本ではそれが『萬葉集』(8世紀頃)の3つの部立(ぶだ)て(雑歌(ぞうか)・相聞歌(そうもんか)・挽歌)のうちの1つとなったのね。『古今和歌集』以降では「哀傷歌(あいしょうか)」として詠まれ続けた。じつは、あきこの川柳の多くは、内容的にはこの流れを汲んでいると思うのね。

 『詩経(しきょう)』序に”詩者、志之所之也。在心為志、發言為詩。(詩は、志の之(ゆ)く所なり。心に在るを志と為し、言に發するを詩と為す。)”とある。 すなわち、詩とは志の赴(おもむ)くところである。それが心の中にあるのが〈志〉、ことばとして発したものが〈詩〉であると。詩とは、こころざしなのね。あきこがいままでに “川柳はこころざし” と書いているのも、ここからきているのね。(注 詩経:中国最古の詩集。BC12世紀~BC6世紀、約600年間の詩が305編集められている。)

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