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 種田山頭火、昭和15年(1940)10月11日、一草庵にて心臓麻痺で逝去。下記は、さいごの日記。
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十月六日
晴―曇。
今日明日は松山地方の秋祭。
和尚さんの温言―お祭りのお小遣が足りないやうなら少々持ち合せてゐますから御遠慮なく――とわざ/\いつて来られたのである、――温情、あゝありがたしともありがたし、昨年一洵老に連れられて此処新居へ移つて来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅――高台で閑静で家も土地も清らかであり市街や山野の遠望も佳い――が殊に和尚さんにその人を得た。たゞ感謝あるばかりである。
澄太が一草庵と名づけてくれた、一木一草と雖も宇宙の生命を受けて感謝の生活をつづけてゐる、感謝の生活をしろよとは澄太の心であつたのであらう。
一草庵―狭間の六畳一室、四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲場ポンプが[#「汲場ポンプが」はママ]ある、水質は悪くない、焚物は裏から勝手に採るがよろしい、東に北向だからまともに太陽が昇る、(此頃は右に偏つてはゐるが)月見には申分がない。
東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町、一洵どんぐり庵へは四丁、友人もみな、親切――、すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である。私は感謝して、すなほにつゝましく私の寝床をこゝに定めてから既に一年になろう(マヽ)としてゐる。それに/\……。
感謝の生活、私は本当にそれを思ふ。

十月七日
曇―晴。
早朝和尚さんに逢ふ、――昨日はどうでした、お祭りのお小遣はありますかと言ふてくれた――勿体なし勿体なし、人には甘えないつもりだけれど、いづれまたすみませんが――とお願ひすることだらう、あゝあゝ。
けさは猫の食べのこしを食べた、先夜の犬のことをもあはせて雑文一篇を書かうと思ふ、いくらでも稿料が貰へたら、ワン公にもニヤン子にも奢つてやらう、むろん私も飲むよ!

犬から餅の御馳走になつた話、――

十月八日
――晴。
早朝護国神社参拝、十日、十一日はその祭礼である、――暁の宮は殊にすが/\しく神々しい、なんとなく感謝、慎しみの心が湧く、感謝、感謝!感謝は誠であり信である、誠であり、信であるが故に力強い、力強いが故に忍苦の精進が出来るのであり、尽きせぬ喜びが生れるのである。
皇室――国への感謝、国に尽くした人、尽くしつゝある人、尽くすであらう因縁を持つて生れ出る人への感謝、母への感謝、我子への感謝、知友への感謝、宇宙霊―仏―への感謝。――
一洵老が師匠の空覚聖尼からしみ/″\教へてもらつたといふ懺悔、感謝、精進の生活道は平凡ではあるがそれは慥かに人の本道である――と思ふ、この三道は所詮一つだ、懺悔があれば必ずそこに感謝があり、精進があれば必ずそこに感謝があるべき筈である、感謝は懺悔と精神との娘である、私はこの娘を大切に心の中に育くんでゆかなければならぬ。
芸術は誠であり信である、誠であり信であるものゝ最高峰である感謝の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであろ(マヽ)う、澄太や一洵にゆつたりとした落ちつきと、うつとりとした、うるほひが見えてゐて何かなしに人を動かす力があるのはこの心があるからだと思ふ、感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはいつでもお祭りである、拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろ(マヽ)う、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから。――
夜、一洵居へ行く、しんみりと話してかへつた、更けて書かうとするに今日は殊に手がふるへる。

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