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 10月27日。この日、先月に続いてもう一度新宮へ出かけることになったのね。翌28日、新宮高校(の教頭先生)に前田先生の参考資料を届けるため。先月寄贈の『前田咲二の川柳と独白』と一緒に展示して下さると仰るのね。教頭先生の方でも、前田先生に関する当時の資料を探しておいて下さるということだった。ありがとうございます。

 今回(も)吟行の予定を組み入れた。和歌山市駅から出発、紀勢本線で和歌山駅から新宮まで特急くろしおで行くのがいちばん簡単なのだが。途中、那智駅で降りて補陀落渡海(ふだらくとかい)で知られる補陀落山寺を吟行しようと思い立ったのね。(那智駅から新宮までは近い。) 手前の紀伊勝浦で降りると温泉もたくさんあるし、ここで泊まってもいいかなとか、いろいろ考えるのね。翌朝早く出れば約束の9時半にも間に合うだろうと。

 この日は、前田先生の月命日。生前あんなに帰りたがっておられたふるさと。伊勢の畏友が仰るには、故人の霊は草葉の陰にいて、呼んだらすぐに来るとか。呼ばなくても、たぶん先生は分かっておられるでしょう。(写真:補陀落山寺にある、補陀落渡海の舟。この舟で観音浄土をめざして帰らぬ旅にでたのね。)

補陀落渡海に使う渡海船についての史料は少ないが、那智参詣曼荼羅には補陀落渡海が描かれており、補陀洛山寺には復元された渡海船が置かれている。これによると、一般的な貨客のための渡海船とは異なり、和船の上に入母屋造りの箱が置かれ、その四方に4つの鳥居が建てられている。鳥居の代わりに門を模したものを付加する場合もあり、この場合は門のそれぞれに「発心門」「修行門」「菩提門」「涅槃門」との名称がある[1][4]
箱の中には30日分の食物や水とともに行者が乗り込むが、この箱は船室とは異なり、行者が中へ入ると入り口は板などで塞がれ、箱が壊れない限りそこから出ることは無い[1][4](Wikipediaから、一部)

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