2016.12.8 06:00更新
【ジョン・レノン没後36年】
ジョン・レノンは靖国の英霊に祈った 外交評論家・加瀬英明(正論11月号より)
今年はビートルズの来日公演から50周年。ビートルズのメンバーで、1980年12月8日にニューヨークのマンションで射殺されたジョン・レノンが生きていれば、10月9日には76歳の誕生日を迎えていた。ジョンの妻、オノ・ヨーコは私のいとこで、私自身もジョンと親しくつきあわせてもらった。反戦平和を歌い、左翼的な政治運動にも身を投じた彼は「ラブ&ピース」のイメージで知られるが、私の知る彼は違う。
印象に残っているのは、ジョンが日本の神道に強い関心を示していたことだ。よく中国や韓国の指導者や日本の新聞が、わが国の政治家の靖国神社参拝を批判するが、ジョンも靖国神社を参拝している。このことを私が講演などで話をすると、彼の「ラブ&ピース」のイメージと靖国が結びつかないのか、「本当なの?」と問い合わせを受けることもあるのだが、事実なのである。
ジョンがヨーコに連れられ、靖国を参拝したのは71年1月だった。私は同行しなかったが、リラックスした二人を撮影した外国通信社の写真が残っている。穏やかに微笑むジョンに、ヨーコが何か説明しているようにも見える。
当時はまだ“A級戦犯”合祀が政治問題化はしていなかったが、彼は、戦場に散った日本の英霊をまつる靖国という場所を嫌っていなかった。それから、しばらくして、私はジョンに「先の日米戦争はアメリカからふっかけられ、日本は自衛のためにやむなく戦った。日本人はアメリカに攻撃されたベトナム人民と変わらなかった」と説明したことがあるのだが、その時も彼は納得した。あくまで私の推測だが、当時のジョンはアメリカという国に批判的で、ベトナム戦争などを挙げながら「侵略戦争を戦う国だ」などとよく口にしていたから、日本は米国に対し「正義の戦争」をしたと思ったに違いない。
ジョンは伊勢神宮にも足を伸ばしている。森に囲まれた神宮に魅せられたのだろうか、彼は私に「神道の森は素晴らしい。キリスト教の教会は街の中にあって、周りに自然が少ない」と話していた。私はジョンに神道の自然観を説明したことがあるのだが、そのとき、英国出身者なら誰でも親しんでいる「クマのプーさん」の話をした。プーさんは森で、少年や動物たちと「平等の仲間」として楽しい日々を過ごしている。日本人にとっても動物から草木に至るまでの全てが仲間だから、人間中心主義を戒めるかのようなプーさんの物語は神道に通じるという話をした。そのとき、ジョンはわが意を得たりとばかりに目を輝かせて「その通りだ」と言っていた。
好きな日本語は「オカゲサマ」
いただきます、ごちそうさま…。ジョンは、日本人の価値観を感じさせる、英訳が難しい言葉が好きだった。これらの言葉は神道の教えにも通じるのだが、ジョンは「特に『オカゲサマ』が良い」と言っていた。「おかげさま」は、宇宙が誕生して以来の森羅万象に対する感謝の気持ちを現す語感を含んでいる。ジョンは優れた詩人だったから、森羅万象に対する感覚が鋭敏だったのだろう。
キリスト教は嫌いだったようだ。名曲として知られる「イマジン」では「地獄も天国もあったものではないと想像してごらん」と歌っている。明らかなキリスト教への批判で、過激な歌だった。宗教つまり「レリジョン」の語源のラテン語には「縛る」という意味がある。ジョンは一神教が人を必要以上に縛る、人による自然支配を肯定しているために、違和感を覚えていた。多神教の神道では、自然の細部に至るまで神が宿り、人は自然を尊ぶ。人は自然の一部にしかすぎない。聖書のような教典も存在しないため「縛る要素」が少ない。私が「イマジンは神道の世界を歌っているのではないか」と尋ねると、ジョンは賛同してくれた。
ジョンに神道の魅力を教えたのはヨーコだ。私たちの近い祖先に神主がいることも関係しているのかもしれない。ヨーコはウーマン・リブなど男女平等運動や左翼的活動の旗手になったことで誤解されているが、実は「明治の女」なのだ。男につくすし、日本文化にも造詣が深い。折り目正しいところもあり、決して本当の「左」ではない。がんじがらめな因習や、窮屈な日本の人間関係が嫌いなだけなのだ。
ヨーコは私の4歳上で、幼い頃は「ヨーコ姉ちゃま」と呼んでいた。我が一族の間では長いこと「イギリスの歌い手と一緒になったらしい」などと“厄介者”の扱いをされていたが、私はどういうわけか気が合った。私は演歌が好きで、もともとビートルズやジョン・レノンという人物にあまり関心がなかったから、ヨーコがいなければ、ジョンと話したいと考えることもなかっただろう。1966年にビートルズが来日したときも、会場の日本武道館の会長を務めていた正力松太郎氏から「ピヨトルズという合唱団を呼ぶことになったから切符をあげましょうか?」と誘われたが、断ったほどだ。
しかし、ジョンと知り合ってみると、年が近いこともあり、気が合った。彼は他愛もない話が好きで、ビートルズで作詞作曲のコンビを組んだポール・マッカートニーの名をあげながら「ポールと一緒にハドソン川の上空でUFOを見たことがある」とも言っていた。「銀の棒を組み立ててつくった“ピラミッド”の下にタバコを置いておくと味がよくなる」などと嬉しそうに話していたこともあった。
地球外生物がいると本気で信じていたから、私は「お化けがいないのを証明するのは不可能だから信じるよ」と応えた。ジョンは神秘的なものを求めていて、それが神道への関心につながったにちがいない。
ポール来日めぐり大恥かいた
彼の偉大さを知ったのは、1970年のビートルズ解散後で、知り合ってかなり経ってからだ。
70年代の半ばだったか、来日した彼を東京・新橋にあった「ルーブル」というバーに誘ったことがある。うす暗くて狭い店に二十五、六歳くらいの若い男のギター弾きがいて、髪を短く刈っていたジョンに気づかずに私がリクエストした「イマジン」を歌い始め、ジョンがハミングで調子を合わせた。演奏後に「ジョン・レノンだよ」と明かすと、ギター弾きは感動のあまり、子供のように声を上げて泣き始めた。このときに初めて「ジョンはこんなに有り難い存在なのか」と気づかされた。
余談だが、ヨーコからの「お願い」で大恥をかいたこともある。ジョンが撃たれる前、米国から電話がかかってきて、「ポールが日本公演を予定しているみたいだけどビザがおりないそうなの。なんとかしてくれる?」と頼まれたときだ。ポールの薬物犯罪歴を理由に法務省がビザを取り消していたようで、私は当時、官房長官などを歴任した園田直氏と仲が良かったから、「なんとかしてほしい」と頼み、園田氏も即座に関係者に電話で「とにかくビザを出してやってくれ」と働きかけてくれた。それなのに、ポールは成田空港に降りた直後に大麻所持で捕まってしまった。サ行の発音が苦手な園田氏から「カシェくん。ひどい恥をかきました」と責められたものだ。
私に電話があったのはジョンがヨーコに協力を頼んだからかもしれない。ポールとはビートルズ解散前後に不仲だったジョンだったが、限りなく優しい人だったからだ。彼がニューヨークで日本語の勉強ノートを見せてくれたことがあった。言葉の横に上手な絵も描かれており(彼は若い頃に美術学校に通っていた)、本気で感心したら、次に訪米したときに立派な皮の表紙をつけてプレゼントしてくれた。「from your cousin John(あなたのいとこのジョンより)」とサインを添えて。
最後に会ったのは亡くなる1年ほど前だったと記憶する。最後になるとは思っていないから会話の中身は覚えていない。63年にはケネディ元米大統領も射殺されていたし、ジョンが撃たれたと知ったときは直感的に「ヒーローとはこういうものなのかな」と思った。いま思うに、彼ほど優しい人間には会ったことがない。私が彼に重ねたイメージは、まさに神道の世界に通じる「生き神様」だった。(談)
加瀬英明氏 昭和11年生まれ。慶応大学卒業。福田赳夫、中曽根康弘両内閣で首相特別顧問を務める。母親は元日本興業銀行総裁の小野英二郎の娘。オノ・ヨーコ氏は、母の兄の娘。
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