ジェネレーションギャップとか、世代間のズレとかは以前からよく話題にのぼる。価値観、思想などの相違は、かんたんにはそのギャップを埋められないように思われる。
「世代」という語にはほぼつぎの二つの意味があるだろう。一つは生年の近い集団で時代背景を共有、価値観や行動様式を同じくする集団。もう一つの「世代」は、親世代や子世代というように分別される集団。いずれの場合においても、各世代間の価値観や行動様式は異なる傾向があり、その断絶が葛藤や軋轢を生じさせている。
高齢者が孤立に陥る問題点の一つとして、世代間ギャップによる対立や煩わしさが固定化してしまった結果、交流が失われていることが挙げられる。そのことが川柳など文芸の承継をも妨げる要因になっていると思われる。
『広辞苑』には、ジェネレーションギャップとは、「世代間に生ずる知識・関心・考え方などの違い。世代格差。」とある。 格差というと優劣があるようだが、単に違いということで、どちらかがよいとか悪いとかいうことではないだろう。
「ウザイ」ということばを若い人たちがつかうのをよく聞くが、たしかに我われもかつて上の世代をこのように感じたことはある。それは、まずは世代のちがう両親のどちらかに対してであったことが多いのではないか。しかし、その葛藤を経たからこそ自身のものの考え方が形成されてきたという一面もあるだろう。
『前田咲二の川柳と独白』を最近出版(監修)させていただいたが、前田先生も生きておられれば90代もなかば。先生の句を読んで、先生の生きてこられた時代を肌で感じとれるのは我われの時代までではないかとも思うのだ。当時の超エリートとしての進学先であった(江田島)海軍兵学校(先生は75期、さいごの卒業生)のことを、わたしと同世代の川柳人がまるで知らなかったことに驚いたことがある。あっという間に時代は過ぎてゆくのである。
川柳という文芸は果たして承継されるのか、というぼんやりした不安がないことはない。この文芸への関心は、遺された作品が世代を超えて将来発掘されるときまで待たねばならないのだろうかと。文芸をこころざす現代の若い人たちが、この文芸の魅力である、創作のフィールドとして制約のない大きさに関心をもち、かつそうした人たちの中から俳諧における芭蕉のような天才が出現することを祈るばかりである。
Loading...














































