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 この二十年間、私が懸命に取り組んできたのは、いわゆる〈文芸川柳〉。途中、前田咲二先生のたってのご依頼で、時事川柳専門結社「川柳瓦版の会」に足かけ十年所属していたが、その間もあちこちの句会大会に出席、〈文芸川柳〉に取り組んできた。(時事川柳専門結社という、私にとってはあり得ない(笑)ところに長年編集同人として所属していたのは、「あんたのような、ふつうの川柳がうまい人に⦅後継者として⦆時事川柳を勉強してもらいたいんや(ママ)」と、前田先生に説得されたからなのね)

 私のめざす〈文芸川柳〉とは、いったいどういう川柳なのか。それを問われたとき、例に挙げることが多いのは芥川賞と直木賞。芥川賞と直木賞はなにがどう違うのか。芥川賞とは、対象ジャンルが純文学(芸術性や形式が重んじられた文学作品)なのね。対して直木賞は、対象ジャンルが大衆小説(芸術性よりも娯楽性に重きを置いた小説)。

 川柳を純文学としてとらえ、研究するとともに自ら創作していくことに時間を費やしてきた。言葉や文字によって「なにが表現できるか」「どう表現するか」ということに絞って考え、研鑽を続けてきたのである。表現者としての視点で他人の句を読み解くことで、句への理解がより深まるということもある。「自分ならこう見る」「自分ならこう表現する」と掘り下げることで、鑑賞力がついてくる。(現在の、川柳マガジンへの連載「難解句鑑賞」もそうした努力によるものなのね)

 上記のようなことを尾藤三柳先生も考えておられたことはまず間違いないだろう。川柳の、文芸としての位置(評価)を上げるためには、「芸術性」の有無が問題になってくると。川柳公論の川柳も、そこが重要視されているように見受けられる。句会での時事川柳も、ひと味違った句を採っておられたように思う。川柳も、芥川賞のように「芸術性」をめざすべきだと。

 芥川賞と直木賞では、作家も読者も(たぶん)異なっているように、川柳も句会によって違う。どちらがよくてどちらが悪いなどと言うつもりはない。尾藤三柳先生のこころざしを継ぐということで、川柳の芥川賞としての「尾藤三柳賞」を設けていただきたいと、尾藤川柳氏にぜひともお願いしたいと思うのである(※尾藤川柳氏は、第18回川柳マガジン文学賞の選者になっておられる。どういう作品を選ばれるのか注目させていただきたい。)

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