父が国文学者、母が歌人という環境で育ったので、その影響もあり、12歳頃から短歌を詠んでいるのね。音数が限られるなかでことばを紡ぐことに、そのころから慣れ親しんできた。自由詩も書いてみたけれど難しい、しみついた定型の感覚はその頃からのものだろう。短歌は5・7・5・7・7の五句三十一音の形式で表現される文芸で、川柳とおなじように季語を必要としない短詩なのね。〈にんげん〉の体温に近いところで詠むことも、川柳とおなじではないのかな。
すこし短歌の歴史を掘り下げていうと、近世までは和歌と呼ばれ、それ以降は短歌という呼び名に変わるのね。和歌とはもともと漢詩に対することばで、短歌だけでなく長歌や旋頭歌、仏足石歌などをも指していたのね。起源としては「記紀歌謡」、七世紀後半から八世紀後半にかけて成立の「万葉集」が挙げられる。万葉集は全二十巻、四千五百首以上の歌が収められているのね。万葉集に続いて古今和歌集、新古今和歌集などが編まれ、短歌は貴族のたしなみとして詠まれるようになっていったのね。江戸中期には滑稽を主にした狂歌が流行したこともあった。明治期に、正岡子規らによる和歌革新運動を経て、現代の短歌へつながっていくのね。
つぎは現代を代表する歌人の一人、俵万智のかつてのベストセラー『サラダ記念日』の中の一首。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
この本が短歌界を騒がせていた頃、三十代なかばのわたしも和歌山市の、関係するとある結社の大会でこの本に対する主宰(元国立大学教授)の厳しいことばを伺っていたのね。その時代のごくふつうの地方結社の反応だったと思う。目をかけていただいたご高齢のその主宰が亡くなられたあと、短詩文芸界の例にもれず(?)会が分裂。一方の会に十年ほど在籍したのだったか。ここでもたいせつにしていただいたが、俳句も覗いてみようと思い立ったのね。俳句は、二つの会に続けて十年ほど出席。そのあと、どういうご縁か、ほぼ同時に所属していた詩の会の仲間に紹介していただき、さいごにたどり着いたのが川柳だったというわけです。
続きは次回
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