11日、吉野山吟行の帰りに新葉館出版の松岡氏と9月に出版予定の『前田咲二の川柳と〇〇』(たむらあきこ編)の打ち合わせ。いただいた資料でなつかしい先生の名文にふれて感動。時事雑詠にも、どなたも追随できないだろう美しささえ感じた。下記は、会長就任にあたっての挨拶文。岸本水府師の興味深い一文も引用されており、ご参考まで。あきこへは会長就任の翌8月、展望句会ではじめてお声をかけていただいたのだった。
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2007年07月号
会長就任にあたって 前田 咲二

岸本水府
「瓦版」の由来
この雑誌の名を「瓦版」としたのは、読売にちなんだものであることはいうまでもない。
瓦版は新聞のなかった昔、今の号外のように、刃傷沙汰や刑死、仇討などを書き綴ったものを刷り込み街頭で読売ったものである。
必ず画が入っていた。急いで刷るため、版を彫るのに瓦を用いたらしいが、瓦そのものを刷ったものは残っていない。木版でもおそまつなもので、残されたものは至って少ないが、筆者は芝居にある「研辰の討たれ」の速報瓦版を持っている。忠臣蔵以来、仇討ものの瓦版が流行した。
徳川中期には、絵双紙または読売と称し、末期には瓦版、または読売瓦版といったそうであるーー水府
昭和三十四年五月一日発行された「瓦版」創刊号の巻頭言である。あれから四十八年、岸本水府、片山雲雀、広瀬反省、柏原幻四郎各会長により受け継がれてきた「川柳瓦版の会」の船頭役を私が引き継ぐことになった。
私は大正十五年生まれの傘寿である。そろそろ隠居でもと考えていたやさきの出来事で、正直面喰っている。これであと数年はお迎えが来てもお断りすることになる。
会長が変わっても、時事川柳「瓦版」の精神は何も変わるものではない。各先達によって拓かれた一本の道を唯黙々と進むのみである。願わくは諸兄、諸姉、老骨に優しい鞭を打たれんことを。
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