父母の影響で、12歳から短歌を詠み始めた。32歳で離婚を契機にあらためて結社に入って短歌を、40歳前からはやはり結社に入って俳句と詩を、50歳前から川柳を詠んでいる。
いずれもやめた訳ではない。血の中には、殊に短歌への情熱がずっと燻っていて、川柳を詠みながらも、いつもこれでよいのかという思いに苛まれる。私の本来は短歌ではないのかという思いを捨て切れていない。母が歌人だったこともその大きな理由である。国文学者だった父も短歌、俳句を詠んでいた。川柳とはどういう世界なのかという、ちょっとした興味で、たまたま迷い込んだという意識がいつまでも残っている。思いがけないことに、川柳の魅力に惹かれてずぶずぶと踏み込んでしまった。
知人の紹介で和歌山市の「番傘川柳つくし会」に参加させていただいたのが1999年。秋季号に『待ちかねてふて寝を星に覗かれる』という句が載っているが、これが私の詠んだ最初の川柳になる。
………続く。
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歌人・尾崎左永子さんの一文を掲載。
「最近、源実朝の歌がふたたび見直されはじめた。
『人丸ののちの歌よみは誰かあらん征夷大将軍源実朝』
(人丸は柿本人麻呂)明治中期、こう正岡子規は歌って短歌革新の旗印に「万葉調」を掲げたが、このところの実朝熱は、また少し傾向を異にしているようだ。
いま鎌倉文学館で開催中の特別展「源実朝」は、一般の人々の関心をも多く集めている。そこには、実朝に魅せられた文学者たちの著作や
元原稿がびっしりと並んでいる。斉藤茂吉、小林秀雄、太宰治、吉本隆明、中野孝次、岡松和夫・・・。実朝の存在は、各時代の人の心を、なぜこのように鷲掴みにするのだろうか。
『神という仏というも世の中の 人の心のほかのものかは』
たった31文字の中に、人の心・情を光らせるのが短歌であり、そして、短歌は古き伝統を伝える誇らしき文字なのである。
りょーみさすけさま
いまはどっぷり川柳なので、もう時間がないかもしれない。(川柳だけでも究めていくのが大変)
でもねー、本も出せたことだし(また出すけれど)、まあいいかと。
おにーさまも、元気なうちに一冊どぉかな?生前葬(エンギでもないこと言ってゴメン)の代わりになります。生きたという証。実朝、時間を見つけて読んでみます。読書の秋。