※2月いっぱいで抄出を終えるため、急いでいます。先生は、幼い頃、神童と言われていたらしいのね。ご両親の期待を一身に受けておられたことは想像に難くありません。父上がはやくに亡くなられたのね。終戦で江田島の海軍兵学校からもどられ、地元の医者から「医学を勉強して、娘三人のうち(誰でもいいから)選んで結婚して、跡を継いでくれ」という話もあったようですが。断って、地元の日本通運に就職されたと伺っています。
『前田咲二遺句集 平成5年』❽
なにを着て行こうと俺にきかれても
板前の依怙地が客を並ばせる
不意打ちに妻が昨夜のことを訊く
誤字一つない八十の母の文
どん底の景気へ灯す町工場
面白い名だった何といったっけ
口下手で世間を狭く住んでます
三つほど干支をずらして答えとく
隣よりアンテナすこし高くする
遍路笠 雲亡母になり亡父になり
昨日の時間に昨日の人がくるベンチ
表札に男名前を書いておく
平行線だった亡父亡母の轍
腹を蹴る胎児を母としてさとす
表札のすみに老後が追いやられ
訣別に笑いを一つ書いておく
亡母の座の隣を予約しています
石を投げ催涙弾を撃つゲーム
閻王を騙す科白はきっとある
兵馬俑の響き聞こえるときがある
苦労人だなあ手土産を忘れない
夜学出の社長で話おもしろい
人が笑ったあとから大声で笑う
長いことなにしてたんと抓られる
ポケットのバーのマッチは百叩き
十字架をみな負っている遍路笠
おでんのコラムがおでん屋に貼ってある
白旗をもって女に逢いにゆく
ぼくの胸に誰かが釘を打っている
樹のこころ斧のこころになって伐る
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咲二さんの前の瓦版の会長が柏原幻四郎さん。
私の記憶では、咲二さんの方が年長であったように思います。
ただ、川柳歴では幻四郎さんの方が長いようにも思います。
幻四郎さんの句はほとんど知らないのですが、遺句集を読み進むと、
幻四郎さんが先に会長になられた訳(謎)は何か考えさせられます。
幻四郎さんは懇親会もたまにしか出席されませんでしたが、その時は
拍手喝采みたいな感じです。その辺のお人柄なんでしょうか。
よくわかりません。
昌紀さま
幻四郎さんとはお会いしたことがないのね。
幻四郎さんが瓦版をご病気で退かれ、先生が会長となり、その翌月初めて展望でお声を掛けていただいたので。
前会長反省氏が決めたと伺っています。
反省氏とのことは少々伺っているけれど。
いい加減なことは言えないので。
こっそり教えて下さい。
昌紀さま
あはは。
いろいろあるのよね。
後継者として最初からずっと望まれていたあきこも、結局自分から退くことになったし。
嫌がらせされてまで、いることはできません。(そんなことで悩ませられることは、あきこ的には時間のムダなのね)
《恫喝してきたのは井の中の蛙》
これが、あきこの答えなのね。
先生は実力がずば抜けていただけに、妬みを受けておられた部分があったのではないかと。(想像ですよ)
おぼろげに分かったような気がしますが、ますます咲二さんの謎が深まりました。
番傘から瓦版に軸足を移したのも謎ですし。しかし、謎が大きな魅力ですね。
川柳等における 桒原道夫 さんみたいな人がいたらなあとも。
独り言ですから、返事はいいですよ。
川柳等→川柳塔 でした。
昌紀さま
先生は瓦版だけですよ?
同人になっていたのは。
読売新聞の時事川柳欄を見て、投句し始めたと伺っています。
たぶん、頼まれて?番傘の誌友になっておられたのです。
瓦版の会長になってからは誌友を退き、柳誌だけ送ってもらうことにされたはず。
ま、瓦版も番傘系ですから。
番傘本社句会でたたかうのが面白かったのではないでしょうか。
あの句会は入選句数をカウントしていましたから。
河内天笑さんのところの夜市川柳誌上句会にも句を出されました。
ここも何回も優勝しておられます。
「4回以上優勝すると嫌われる」と言っておられたのね。(笑)
さっと退かれたみたいですが。