
書は一期一会、誕生のその瞬間にいまを生きるいのちを表現するものと考える。二度塗りや、切り張りなどの修正はきかない。古典を研鑽し、積みあげることで技をみがかなければならない。自身の書を確立するには古典から学ぶことが必須。修練を積み重ねるうち徐々に自分らしさを見出し、個性や資質を反映した書風ができていく。楷書、行書、草書、篆書、隷書、仮名のいずれも。
ほの暗い空間で、ゆったり書を鑑賞すれば心も落ち着く。よいと思う作品にだけじっくり向き合う。読めなくとも空間構成のバランス、墨色。さながら音のない音楽会のように、何かを語りかけてきてくれる。
最近お二人の書に向き合う機会を得た。11月6日に羽咋吟行でお世話になった赤池加久氏の書。もう一つは、9月の靖国神社吟行で久しぶりにお会いした畏友小堀邦夫宮司の書。写真右は、千里浜の大伴家持の碑に刻まれている万葉仮名の和歌《之乎路(しおぢ)から直(ただ)越え来れば羽咋の海(み)朝凪したり舟楫(ふねかぢ)もがも》を写された赤池氏の書。左は小堀宮司の、色紙に書かれた書。
※之乎路の「之」は書として最初にくると弱いとのことで、「志」に置き換えておられます。
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あきこ 様
この12日から今日まで岡山、大阪へと出掛けていてコメント遅れました。
稚拙な書を掲載していただいて恐縮しております。
まずは遅ればせながらお礼まで。
11/14 加 久
赤池 加久さま
勝手に掲載させていただき、すみません。
なんとなく、好みの字なんですね~。
しばらく見入ってしまったのね。
書のことはほとんど分からないのですが。
時間がなくて、練習もできなかったので(↽言い訳)。(*^^;)
頼まれたらすぐ揮毫できるように、なんとかしておかないといけませんよね。
反省しました…。
先は、遠いです。(TT)