柳誌や書きかけの原稿などの山の隙間に手を伸ばして、たまたま拾い上げた一文に目を通すことがある。「現代川柳 点鐘」の、墨作二郎氏によるあとがき。今年のものかと思っていたら、平成22年11月発行とある。内容の状況が変わったとも思えないので、そのままここに写させていただく。
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◆川柳界は別段変りようもなく無難に推移している。秋の大会も例年通りで何処もどっと押し寄せ、何れも盛会裡に経過したと聞いたが目立っての作家出現も心に残る作品の発表も聞いて居ない。何気なく集まって疲れを残したとすれば勿体ない時間の過し方の様である。いつも通り発表誌が届いて、そんな中で類形(ママ)類似の作品を目にすると、どっと疲れを感じるのである。懸命の作品活動が感じられないのは空しいと言うしかない。
◆先程読売新聞神奈川版川柳部門の合同句集「川柳口傳Ⅱ」が届いて読み返している。新聞柳壇の日常性の「うすっぺらさ」に比し、ここには上質な思惟と詩性の展開があって好ましい。選者の瀬々倉卓治君とは古くからの親友で、川柳にひたむきな思考力の実践に敬服している。この選者を得て新聞本来の読者対応の深い理解があってのことである。近代川柳の基盤となった新聞川柳を復活して今後に生き伸びる姿勢が喜ばしい。この精神を学びとって欲しいものである。一読して全国の新聞柳壇の選者の本来を取り戻すことである。
(墨 作二郎 雑唱点鬼簿より)……………………………………………………………………………………………………………………
目を通しながら、一文の論旨が今年の川柳マガジン文学賞に寄せられた尾藤三柳先生の厳しい「選後感想」に被さった。お二人とも川柳界の現状を憂えておられることに変わりはない。私のところにも、参加した川柳大会の作品集が次つぎ届けられるのだが、一読、その多くにおなじ感想を抱く。
結局大会の選者がよりよい川柳の方向を決めていかなければならない。川柳をつまらないものにしてはならない。私も、まずは目の前にある大阪川柳大会で心して選に当たるつもりである。
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もこと、川柳はどこへ行こうとしているのだろう?
短歌も俳句も世界へ飛び出して注目を帯びているというのに、川柳はいつも同心円の中でうろうろしているばかり、なかなか趣味の範囲から脱出できれません。何故なのか、いよいよ多くの人が問題意識をもつべき時がきたのかも知れませんね。とりあえず、墨作二郎さんや尾藤三柳さんの提言を「多くの人が読む」ようにすることから始めるべきでしょう。ヘ(-_-ヘ)
墨作二郎さんの鑑賞文は、私もよく読んでおります。この方も新子時代の展望にいたのですよね。ファンも多く、適切な鑑賞文を書かれるし、大先輩に言う言葉ではありませんが、「この方、すばらしい方です。(_ _(–;(_ _(–;
りょーみさすけさま
はい~。耳の痛いことを言って下さるかたの発言はよくよく聴かねばなりません。
甘~いことばかり仰るかたは本当の友だちではありません。これから川柳をよくするのも、悪くするのも私たち一人ひとりの決意にかかっているのですから、お互いに頑張りましょう。