
熊野灘の夕日
故前田咲二先生を悼む たむらあきこ
先生のご葬儀(家族葬)のあった九月二十九日、私は東京都台東区松が谷・祝言寺の尾藤三柳先生のお墓にお参りさせていただいていた。これも何かの縁なのだろうか。先生とは何度か尾藤先生のことをお話しし、昨年十月二十三日のわたしのブログには、尾藤先生のご逝去を報じる新聞の切り抜きを先生に頂いたとある。ともに東西で読売新聞「よみうり時事川柳」の選を担当された川柳家。その日から一年も経たない九月二十七日に逝かれるとは。
平成十九年夏、大阪の展望句会で初めてお声をかけていただいてから十年、変わらぬご信頼をいただき、句会その他でいつもご一緒させていただいてきた。同郷(和歌山)ということもあるが、短歌・俳句など短詩型文芸に通じておられることで、同様のわたしとはとても話の合う先生だった。気質や考え方にも似たところがあり、最後まで変わりなく目をかけていただいた。
わたしの第一句集『たむらあきこ川柳集2010年』には序文を頂き、次の『たむらあきこ千句』には表紙の字を書いてくださった。
十年間、先生の率直なお考えなどをこころに刻みつけた。文武両道で、全国の俊秀をあつめた江田島海軍兵学校の最後の卒業生(75期、戦争には行っておられない)。日本通運の経理部長を最後に退職されたと伺っている。
幼少の頃から父上に俳句の手ほどきを受けられ、三十代で投句していた毎日新聞の俳壇賞、さらに歌壇賞も受賞された。俳句の年間特選句数が七十句を超えるという猛者だった。定年前後に始められた川柳においてもたちまち頭角を現し、横綱と称され名声をほしいままにされた。
9月4日、最後に頂いたお電話で「熊野川(吟行)に行くんか。俺も行きたい」と繰り返し言われた声が耳底に残っている。
泥のように眠り師の訃に耐えている(合掌)
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