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 咲二先生にいただいた最後のことばは何かと考えている。やはり、表題の「おれはがんばった。あんたもがんばれ」だろう。「おれはがんばる。あんたもがんばれ」とも聞こえたのだが。「る」の部分を先生はあいまいにされた。(写真:京阪淀屋橋駅近く、ミュンヘンにて撮影)
 先生は、ご自分の句集のことについてはいろいろ考えておられたようで、「出すときは俳句、短歌も一緒にきちんとした本で、個人集として出す」とかつて仰ったこともある。自他の句、わけてもご自分の句に厳しいので、たとえ大会で秀句に入った句をあつめたとしても、そのくらいでは納得できなかっただろうとも思われる。
 禅宗の「不立文字(ふりゅうもんじ)」ということを考える。不立文字は禅宗の基本的立場を示した言葉。悟りは言葉によって書けるものではないから、言葉や文字にとらわれてはいけないということ。中国の翻訳仏教や学問仏教を批判し、実践仏教を主張した。文字への執着を破って真実に入ることを説いて、禅宗で強調する。
 句集を出さないということは、この「不立文字」の考え方が宗教ということではなく何となく先生にもあったのかもしれない、などと思ってみたりもする。禅宗の教えは措いて、現実問題として句集を残さないということは、先生の生の証を時があっという間に消し去るということでもある。あきことしては、いまは電子書籍もあるのだから、やはり先生をかたちとして残したい。ご家族はどう考えておられるのだろうか。とまれ先生はご自分の句の発表誌はすべて保存しておられる。

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