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 放浪漂泊の自由律俳人・種田山頭火は、昭和15年10月11日「一草庵」にて逝去。
 前日一草庵の六畳間で句会が開かれていた。山頭火は句会に参加せず隣の三畳間で寝ており、心臓麻痺(脳溢血?)で亡くなったようだ。句会に参加した人たちは山頭火が酔って寝ているものと思い帰ったが、翌早朝気になった高橋一洵(たかはし・いちじゅん)さんが訪れ発見した。
 父の放蕩、10歳で母の衝撃的な自殺、家業の破産、家庭の崩壊と、生涯は少年期から穏やかなものではなかった。早稲田大学に進学するも神経衰弱で退学。再び上京、一橋図書館に勤務するも関東大震災に遭遇し熊本に帰郷。42歳の時に、熊本で泥酔し、市電を止める事件を起こす。これを機に曹洞宗報恩寺で参禅生活、出家得度し「耕畝(こうほ)」として仏の道を歩みはじめる。

 大正15年、一鉢一笠(いっぱついちりゅう)の行乞(ぎょうこつ)の旅に出る。その後俳句一筋の道を択び、放浪の旅に。気候風土がよく人情味深く尊敬する俳人野村朱燐洞が眠る松山を終焉の地と決め、その地に没した。享年58。
        分け入っても分け入っても青い山
        鉄鉢の中へも霰
        うしろすがたのしぐれてゆくか
        濁れる水のなかれつつ澄む
       
 写真(左)は俳句行脚に使われた鉄鉢(子規記念博物館所蔵)

 写真(右)は山頭火終焉の地。一草庵(昭和27年、改築)

 種田山頭火、本名は種田正一。俳句結社「層雲」の選者になるなど、季語や定型(五七五)にとらわれない自由律俳句で活躍。わたしの川柳行脚を〝女山頭火〟などと揶揄する柳人もおられるが、「行乞流転」と評される生き方は到底及ぶところではない。仮に出家したとしても、そんな破天荒さで今の世に川柳行脚ができるとも思えない。
 山頭火の句の中の「どうしようもないわたしが歩いてゐる」などの句の奥にそこはかとなく見える自己肯定感が、似ているといえば似ているかもしれない。みずから択び取った人生を生きているという意味に於て。
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