明治から昭和初期には布類は高価で、庶民の暮らしには貴重品だったようだ。破れたら当て布をして使うので、何枚も重なる布と縫い目。この継ぎはぎだらけの布を襤褸(ぼろ)と言う。150年も前、まだまだ木綿そのものが農民にとっては非常に貴重だったころ。そのころから東北地方など寒い地域の人々が麻布に刺し子をしたり、あるいは端切れを継ぎはぎした。
延々と継ぎはぎされては刺し子を施し、着物として用い、着物として着れなくなれば下着へ、さらに雑巾へと姿を変え人々の生活に溶け込んでいた古布。襤褸は現在、アートとしての評価が高まっていて、抽象画のように鑑賞の対象となっているらしい。幅が狭い生地も多いため、それぞれを補修しながら組み合わせる。高価だが着やすい存在感のある衣服なども作られているようだ。(写真(一部)はなんと45万円!、襤褸のジャケット)
私の吟行の襤褸はもちろんそういう類の襤褸ではない。ただの古着。荷物にならないよう、コンパクトに畳んでカバンに押し込む。下着は、到着のホテルで軽く洗うと朝までには乾くもの。長時間歩き回るのに都合がよいように、ひたすら着やすいだけの安価な古着を着てゆく。
襤褸をまとう理由はもう一つ。目立たず、ひったくりなどに遭う危険性を避けられるからである。句を詠み続けるための旅なので、その目的に適わなければいけない。この十数年間には、後をつけられたこともあった。(たまたま持っていた)ブランドのバッグが狙われたのではないだろうか。近くに走り込んで事なきを得たが、それからはバッグもよいものを持たない。襤褸を身にまとうことは身を護ることでもある。
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