釈迢空、折口信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)~ 1953年(昭和28年))の著作は、一部をかつてよく読んでいた。氏の詩や短歌も、繰り返し読んだことで私の中に入っている。享年66歳。いまの私の齢に近い、そういうことからも再び著作を手に取ってみたいが、あれやこれやで時間がない。
伊勢神宮周辺吟行の途中だが、じつは下記のようなことを(ときたま)考えながら歩いているのである。分かりやすいように一昨年出版(発売?)された本(第7回角川財団学芸賞受賞)の、対談(架空)形式の部分から拾ってみた。ご参考まで。
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥
『折口信夫 魂の古代学』
著者:上野誠
プロローグ――折口信夫に問いかける
マレビトとは何か
上野 挨拶抜きでゆきましょう。端的にうかがいます。あなたの学説の中心となるマレビトとはいったい何ですか。
折口 稀に来る人だから、客と考えれば、まあ大過ないというところかな。
上野 では、それは人ということになりますね。
折口 人であるともいえる。
上野 じゃあ、神ですか。
折口 そういう問いの立て方を、私は好まない。神は人であり、人は神にもなる。
上野 われわれは、一応、神と人を別のカテゴリーにあるものとして現在は考えていますよね。
折口 そんな考え方は、近代的なもの、現代的なものだよ。君もそう思わんか。
上野 でも、われわれが生きているのは現代で、やはり論理性と実証性を追究するのが学問では。
折口 いやいや、違う違う。祭りを見ればわかるように、神と人とは容易に入れ替わるのだ。だから、マレビトは神ともいえるし、人ともいえる。そう考えた方が、実際の思考に近いのだよ。
上野 では、あなたは、古代の天皇は神ですか、人ですかと問えば、その両方と答えるのですか。
折口 そうだ。ただし、その魂が問題となるときは、人というより神として論じざるを得ない場合もある、と私は考えた。
上野 神は人で人は神。天皇は人で、時に神。そういう論法があなたの学問をわかりにくいものにしている。
折口 そういう指摘は、柳田國男先生からもよく受けたよ。マレビトは、神なのか鉢たたきの七兵衛か、はっきりせよ、とね。でも、そのように神と人を対立するものと捉える思考は、新しいものだ。そういう考え方を取ってしまうと、日本人の霊魂観や他界観念の本質を逆に見失うような気がするのだよ。いいかね、君。神と人を厳密にわけるのは一神教的世界観だよ。
Loading...
















































