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 先日尾藤三柳先生からご恵送いただいた新著、『完全版 時事川柳 』を自宅近くの喫茶店ドトールにて拝読。
 「まえがきに代えて」と「第三章 作句の基本」を精読、視力の関係で少し疲れて店を出る。パソコンに向き合う時間が長すぎるのか、視力に変調をきたしている。先生の理路整然とした名文もこのような目では少しずつしか読めない。

 きちんと向き合える、このような立派な本をご恵送いただき、感謝の思いでいっぱいである。みなさま(とくに時事川柳を詠まれるかた)にお薦めしたい。繰り返し精読させていただけるよう、帰る途中メガネの新調まで考える。下記は帰宅後読んだ「第五章 時事川柳・一問一答」から。

 【問】
  時事川柳はよく「消えていく文芸」などといわれますが、一過性の価値しか持たないものでしょうか。

 【答】
  この言葉は、第二次大戦後<よみうり時事川柳>の最初の選者であった川上三太郎が書いたものですが、時事川柳は「消耗品」という意味ではなく、もちろん私もそうは思いません。
 「今」の積み重ねが時代をつくり、歴史をつくっていくわけですが、消えていくものではなく重なっていくものです。「今」でなくてはとらえることのできない真実は、それが「過去」と名が変わっても、価値は変わりません。それは、その時その時の呼吸をしながら、生き続けます。
 現に、その時代、その社会を反映して生き続ける時事川柳は枚挙にいとまありません。当時にあって「今」に向けられた作者の目がいきいきと伝わります。ただ、時間を超えて生きてきたそれらの句は、例外なく物事の本質をとらえているということです。
 物事の表面だけ、現象だけを追うのではなく、その奥にある本質にまで目が届かないと、同じような現象は繰り返し起こるわけですから、時の経過に埋没してしまうということになります。
 時事川柳の記録性は、その時その時の「今」を的確にとらえることによって、時が経つほど価値を高めるとさえいえます。ですから「消える」というのが、時とともに一般の意識から遠ざかるという意味なら、時事川柳に限らず、小説でも絵画でも音楽でも同じことです。一般の意識からは遠ざかっても、各時代の「今」が生き続けていることは確かなのです。
 ほんものの時事川柳は、だから「消える」ことはないのです。

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完全版 時事川柳 (尾藤三柳) を拝読”にコメントをどうぞ

  1. 泉水冴子 on 2012年8月18日 at 2:25 PM :

    あきこ様
    いつもお世話になります。『完全版 時事川柳 』を購読するつもりです。
    鈴鹿ネット句会、まさかと思っていましたが採ってくださってありがとう。少しずつ「コツ」が分かりかけています。今後ともよろしくお願いします。

    • あきこ on 2012年8月18日 at 3:41 PM :

      泉水冴子さま
      秀3でしたねー。今回はいい句がたくさんあって選ぶのに骨が折れました。みなさま、作家ですよねー。
      いろいろな傾向の句を採りたいので、一貫性には欠けますが、伝統も革新もどうぞ、といったところです。時事吟も採りました。
      続けてよろしくお願いします。コメントありがとうございました。

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