
学童疎開
最後のおべべ
真夏の太陽がじりじりと照りつける、丁度お昼頃だった。昭和20年8月15日である。玉音放送があるというので、私達集団疎開の子は自分達の住んでいるお寺の中庭の砂利の上に正座して、その玉音放送に耳を傾けた。
ガァーガァーと雑音ばかりが耳に入って来て玉音らしい物は、子供の耳にはとても聴くことの出来ない、理解できにくいものでした。
突然、一緒にその玉音を耳をこらして聴いていた先生が「ワーッ」と泣き出して、とぎれとぎれの涙声で「戦争は終った」と言われたのを聞き取った私達子供は、「ワー勝った、勝った」とその場を立ち上り、大声で喜んだ。
「あんたら阿保や、日本は負けたんやで」とヒステリックな先生の声で、子供達は一同ポカンとした。
なんで、なんで、という思いが先に立って誰の声も耳に入らない。日本は強い、強いと毎日のように教えられ、その強い日本が世界の為に戦争をしている。戦争をしている間「ほしがりません勝つまでは」という言葉を毎朝必ず言わされ、大好きな父や母とも遠く別れて、お国の為と言いふくめられ、汽車に乗ってはるばる田舎のお寺に疎開に来て、自分たちの食べる物は自分達の手で…と、小さな手に自分の背とあまり変らない鍬を持ち畑を耕してきた。
……
日本が負けるはずが無い、いざという時は神風が吹いて、相手を吹き負かしてくれるなどと教えられていた。
日本が負けるはずが無い、その思いは年少の三年生でも同じだった。負けないはずだと信じていた。
やがて先生はくしゃくしゃの顏を上げ、涙を拭きながら「今日はお盆やし、おべべ持って来てる人は着てよろしい。6年生は出来るだけ早く先生の部屋に来るように。」
私達6年生は、いつもとちょっと違う先生に気を使い、着物も着ずに全員が先生の部屋に集合した。みんなの顏を見るなり先生は「あんたらここの最年長やで。今から私の言うことをよく聞いて、言うた通りにしっかりやってほしい。ええな。」
「3年生から順に死んでもらう。6年生は、それをしっかり見とどけて、皆んな逝ってしまったら残った者は本堂に集まり、そこで私と一緒に死ぬ、怖いことあらへん先生も一緒やし、ええな分かったなぁ。」
「ハイ。」
何が何だか解らないまま、兎に角先生の言葉にシャンとした顔をした。
続く
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