(30日、記す) 昨晩やっと川柳マガジン「読者柳壇」の選後感想を書き終えた。すべての句(千数百句)を読み切って入選句を選びだすのに丸4日間。本日は選後感想の小文の推敲、選の最後のチェックに充てることに。「雑詠」の方は読みごたえがあったが、課題「途端」にはどこかで見たことのあるような平凡な発想の句が多く、そういう意味で採る句の選択にかなり迷った。本日中にはすべて終えて、明日あたり宅急便で新葉館出版さんまで返送することに。
表題の句《かくれんぼ 誰も探しに来てくれぬ》(墨 作二郎)は、9月6日の富山県川柳大会での講演「わたしの川柳行脚」でご紹介させていただく著名な柳人の句の中の一つ。このブログを読んでくださっている方で、富山県川柳大会に来られる方々には重複して申し訳ないが、下に私の鑑賞文を記す。
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句は平明だが、心の奥底を衝いてくるものがある。子どもの頃誰もが経験したことのある「かくれんぼ」。〈鬼〉に見つからない隠れ場をけんめいに探して、その場で息を呑んで〈鬼〉の様子を窺っている。次々に友だちが〈鬼〉に見つかっていく中で、息を潜めてじっと隠れている作者。そのまま時間が経過して、もう作者のことは忘れられたのか、ぽつんとその場に残される。出ていこうか、出ていくまいか。そのうちに誰の声もしなくなり、友だちはみんな帰ってしまったようだ。
そんな子どもの頃の誰にでもある経験を下敷きにして、人間存在の不安と孤独感を詠みあげている。大人になったいまでも、誰かが自分を探しにきてくれることを待ち望んでいる。心の深いところまで触れ合える人を待ち望んでいる、というのが句意。「捜す」ではなくて「探す」であるところに着目。広辞苑によると、<欲しいものを見つけ出そうとする場合に「探」、見えなくなったものを見つけ出そうとする場合に「捜」を使うことが多い。>とある。(たむらあきこ)
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