選句眼、ということがもちろんある。以前ある高名な柳人に
「地方に行くとね、披講があとになるほどつまらない句になる(ことがよくある)のよ」
と伺ったことがある。
もちろん披講はあとになるほどよい句が出て当たり前。だいたいはその流れで最後の秀句に行きつくものである。要するに(そういう選者にとっては)どんな句がよい句であるかということがまず分かっていない。
選者の問題は川柳界の一部で長く心配されてきたが、かねてより瓦版会長もそれを嘆いて「咲くやこの花賞」を創設されたという経緯がある。全国から優れた選者を最終的に会長の眼で厳選、文芸性という観点からの厳しい選をお願いしている。
最近次のような話を伺った。
「(地方で)頼まれて、選をしたんだけれど」
「(選者)全員の選結果を総合して一位に選ばれた句に、大きな欠点があるのよ」
「そんな句を一位にはできないと言うと、『お祭りだからいいんじゃないの?』と返ってきた」とか。
「賞を授ける句に主催者側が『お祭りだからいいんじゃないの?』では、ほんとうによい句が浮かばれない。出句して下さった方にも申し訳ない。何のために私が選者としてそこにいるのか分からない」
「(所によっては)賞なんて、いい加減なものよ」
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そのとおりです。地方の有力者の中には長年要職にあり研究心もなく凝り固まっている。これでは川柳の将来はない。
QAZさま
川柳行脚をしていると、びっくりすることが結構あります。
結局は選者ですから、地方でなくてもあるとは思いますが。
出句される方が気の毒だと思うことがしばしばあります。
ここでこういうことを書くのは、少しずつでも改善されればよいと思うから。
まずは、川柳マガジン誌などで全国的な風に触れてみることでしょうか。川柳マガジン誌の中の、一流の選者の選を熟読してみることかと思います。
私も5月号の「川柳道」(尾藤三柳選)は、熟読させていただきました。
「句よりも選者」
映画は、出だしで勝負が決まります。つまらないと眠ってしまいます。
ドラマも、最初の5分が勝負、チャンネルを変えられてしまいます。
川柳もそうあるべきなのです。
最初の10句で期待を持たせ、すべてがいい句のように聞かせて、
秀吟まで引っ張っていく。
それが、選者の力量ではないですか!?
普通の句もいい句に聞こえる、森中恵美子さんの披講がよい例です。
キタァ━(゚∀゚)( ゚∀)超( ゚)絶( )大(゚ )興(∀゚ )奮(゚∀゚)━キタヨー!!!!
茶助さま
句会・大会で最初の10句にいい句を出したら、句が残らない。
で、あきこはせいぜい最初の3句まで、もしくは1句だけ。
選者によってその辺は違うと思うけれども。
すでに定評ある森中惠美子先生や尾藤三柳先生など、一流はさて措き。
いい披講を聴きたいよね~。
川柳を詠むこと、選(披講)は柳人として車の両輪のようなもの。どちらが欠けてもいけないと思うのよね~。 (*_*;
心します。
と書いて、送信したと思ったのに消えた。まるで私みたい。とほほ(・・;)
たかこさま
消えた?
理由が分からないことが、たまにありますね。
さて、鈴鹿の大会が来月。
伊勢国府跡吟行と大会が終わったら、暑い夏に突入…。そこまで行ったら伊勢神宮にも寄りたいし。楽しみにしています。 (^^♪