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 素顔川柳に何を詠むかと問われれば、喜怒哀楽の中のまず「哀」と答える。人間存在そのものが「哀」。人間に与えられた感情の何を詠んでもよいわけであるが、「哀」の他はどう詠んでも作品が浅くなる。ただ「喜」も「怒」も、通底するものが「哀」(ペーソス)であれば、こころを揺さぶる句となり得る。句を深く詠むとは、人間存在の根幹に触れる、まずそういうことかと。

 句を深く詠むためには、深く生きなければならない。いま自身のいる位置を深く抉ること。僅かに知っている(と思える)場所を深く掘り下げることである。悲しみなら悲しみを、怒りなら怒りを反芻し味わい切ることによって、思惟(しい)を深める。

 関係がないことのようだが、私は若い頃からほとんど化粧というものをしてこなかった。いまは口紅もやめて、僅かにアイブローペンシルで眉を整える。少々の白髪が気になるので、ヘアダイはしている。ほかは、化粧水も乳液も煩わしい。何も付けなければ付けないでいられるものなのである。(いまの私にとっては)自身を飾ることは最小限でよい。周囲に不快感を与えないため、それだけ。

 川柳行脚は私からすべて余分なものを剥がし、どんどん素(す)になることを迫っているかのようだ。句のチカラとは、素のこころから相手のこころに訴えかけていくもの。いつも素顔でいる、ということの理由の一つはそこにある。句を研ぎ、自らも研いでゆく。

   旅ひとりどんどん水になってゆく   (たむらあきこ川柳集 2010年より)

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  1. 竹内いそこ on 2014年10月18日 at 5:08 PM :

     あきこさま こんにちわ
    たかね500号記念川柳誌上大会 秀句賞おめでとうございます!

     ひとつの題(魚)で18人の選者というのは面白いですね。
    これは私も挑戦させていただきました。
    沢山の選者のかたにとれだけわかってもらえるのか、未知数でした。
    いろいろな 魚 が見えて楽しかったです。

     さて、もうすぐ氷見大会ですよ。富山は紅葉もそろそろいい具合になってきました。
    立山も雪の帽子をかぶりました。
    寒くなってきてお寿司がおいしくなりましたよ。もうすぐ鰤が登場します。
     さわらびにもきてくださいね。6日にいつもの場所です。
    事前投句は(人妻)(配る)となっています。
     

    • たむら あきこ on 2014年10月18日 at 7:26 PM :

      竹内いそこさま
      立山に雪、ですか。とうとう本格的に冬の入口。

      立山賦、今度は詠みきれるか?
      駄目なら、1月か2月にまた参ります。結局、多賀城址も立山も家持を追う旅ですが、かの人の姿がいまいちよく見えないのは、晩年に遺した歌がないからでしょう。
      ひょっとすると、謀反の疑いをかけられ、遺骨が隠岐の島に流されてから残りをすべて削除されてしまったか?
      本当に謎ですよね…。
      先日の伊勢の斎宮跡の吟行も、近々もう一度行くわけですが、ここに家持との接点はないかよく調べてみることに。
      詩歌のちからの偉大さは、歌一首に込められた言霊がこのように所縁の地まで呼び寄せることですね。

      さわらびに6日、おじゃましてから少し早い目に帰ります。結局5泊。
      どうぞよろしくお願いいたします。(^^)/

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