(…つづきのつづき)川柳の何を伝えるか
読売新聞社に後継者としてわたしの名を届けておくという前田先生のことばに、(申し訳ないことだが)お断りさせていただいたとき、先生は「瓦版に残って○○(現代表)を助けてやってくれ」「残って、瓦版の重しになってくれ」とおっしゃった。先生は、なんとなくご自分の寿命を感じておられたのではないか。
会のこと...【続きを読む】
(…つづき)川柳の何を伝えるか
前田先生は生前、〈誰は先生にとっての何か〉という話の中で、わたしのことを「弟子はあんただけや。ほかにおらんやん」とおっしゃった。では、現代表(当時編集人)はとお聞きすると、「○○は、部下やな」と。そういう関係だったのね。「○○は上にはぜったい逆らわん」とも。先生がお元気なうちは、たしかに揉み手で先...【続きを読む】
(つづきのつづきのつづき)川柳の何を伝えるか
現代表に電話で恫喝されたあとも、瓦版句会にも編集会や校正会にも出席していた。もちろん前田先生がおられたからである。先生にはご心配をおかけしたくなくて、恫喝されたことは話していなかった。ただ、会のあと京阪寝屋川市駅まで先生を送らせていただく途中で、「(わたしは)いつまで瓦版にいるか分からない」と申し...【続きを読む】
(つづきのつづき)川柳の何を伝えるか
何も予定通りにはならない。「後継者として(瓦版に)来てくれ」と頼まれて入ったわたしが、現在後継者にもなっていない。永久選者なのに〚咲くやこの花賞〛の選者にもなっていない。前田先生はこのことを現代表に対し、あの世でどれほど憤り、情けなく思っておられることだろう。
先生は、一度だけ「あんたも(瓦版の...【続きを読む】
(つづき)川柳の何を伝えるか
心の中では、正直、いつ短歌に戻ろうかという葛藤があった。川柳に迷い込んだ、という気持ちがいつまでも残っているのである。両方するには、如何せん時間がない。
父が亡くなったのは平成16年(2004年)3月23日。翌年の水墨画の遺作展の準備ほか、あとの処理でその年は暮れたのね。平成17年3月23日から...【続きを読む】
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