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神道(しんとう)は八百万(やおよろず)の神々を信仰の対象とする多神教。絶対神をいただく一神教とは異なり、他宗教、多文化の受け入れに寛容。いわば「受容」がコンセプト。
川柳も寛容なフィールド。季語の制約もなく5・7・5の定型を守ればよいだけ。それも破調が許される。たましいの本来の自由性を保障してくれる懐の深さ。
神道には教祖・開祖がない。教義・教典がない。信仰は八百万の神々。自然発生的宗教。
川柳にも所謂(いわゆる)「先生」がない(個人的に私淑する場合は別として)。このことは短詩型文芸の中で非常に有難い、素晴らしいことに思える。(川柳界では、原則として皆「さん」付けで呼び合う)
神道は言霊(ことだま)を祭る。言霊とは人の発する言葉の中にこもる精霊、または言葉の霊力のこと。「言霊の幸ふ国(ことだまのさきわうくに)」とは、言葉の霊力が幸福をもたらす国の意。日本のこと。
川柳という短詩型文芸に関わる私たちは、言霊の存在をよくよく知っている。言葉が場合によっては人を斬る力をもつことも知っている。
江戸時代の「お蔭参り(おかげまいり)」と言われる伊勢神宮への参詣は、1771年(明和8年)、200万人を超えたと記録にある。参詣者らは「おかげでさ、ぬけたとさ」と囃しながら歩いて行った。集団ごとに幟(のぼり)を立てていた。初めは幟に出身地や参加者を書いていたが、だんだんと滑稽なものや卑猥なものを描いたものが増えてきたという。お囃子(はやし)も、老若男女がそろって卑猥な事を並べ立てるようなものになった。爆発的な江戸庶民のエネルギー。
これには川柳の狂句への流れが被さる。
『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』初篇が出たのは1767年(明和4年)。ほぼ時期を同じくしている。この時代の残された文物に江戸庶民の姿、エネルギーを垣間見ることができる。
一時代の狂句を経て近代の川柳改革の狼煙が阪井久良伎(さかい・くらき)、井上剣花坊(いのうえ・けんかぼう)らによって揚がったのは明治37年。伊勢神宮も明治天皇のご参拝(1872年)から後、性質が変わっていったようだ。

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