陽炎の骨を拾っていたのです たむらあきこ
この句は、昨年9月22日、富田林市民文化祭 富柳会 第62回川柳大会にて木本朱夏選「陽炎(かげろう)」に入選したもの。『たむらあきこ川柳集2015年 たましいのうた』の選句に向けて積んでいる柳誌の中から拾った。
荼毘に付されたあとの遺骨を拾ったことを詠んでいるわけではない。勿論「陽炎」は死者。「骨」は、著書や画などに遺された志の暗喩。亡父のことを詠んでいる。
田村欣一(田村南厓)。父が亡くなって来年3月でもう10年。何をどう片付けようもなく、実家はそのままにしている。作句や生活のあれこれに追われて、月に一度の風通しに行くのが精一杯。行くたびに多くの書籍や画をどうしたらよいのかと途方に暮れている。(画像をクリックすると別の画像があります)
わらべうた送葬曲にとっておく田村欣一(父が詠んだ、最初で最後の川柳)
いろいろな方にお世話になったが、中でも父が亡くなってからずっと、お彼岸やお盆にお供えをいただいてきた岩橋寿子、和田彣子、ほか板坂壽一のお三人に深く感謝を申し上げる。前二人は父が講師として10(?)年近く関わらせていただいた「国文学の集い」の世話役をなさっておられる方々。お三人とも、いつまでもお元気で。
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わらべうた送葬曲にとっておく
あきこ様のお父様の「最初で最後の川柳」・・・・。
こころに素直に届きました。優しいお父様でいらしたのでしょうね。
田村ひろ子さま
はい。酒飲みではありましたが。(笑) どうやら遺伝しなかったので、私はあまり飲めません。
かなり高名な方でも、亡くなって10年もすると影も形も無くなるようですね。父母が人々の記憶から消えていくことほど切ないことはありません。せめて娘としてブログに名を記しているわけで。
ずいぶん寒くなってきました。体調にご留意願います。クレオの大会は行けませんでしたが、また新子先生の関係の大会でお会いできると思います。