(30日、記す)
29日。11時、近くのドトールにてYさんと再会。Yさんはかつて亡父が講師をしていた、和歌山市の「国文学の集い」で皆さんのお世話をされていた一人。体調を崩してから、父は和歌山大学のK教授(現在)にあとを託したが、それからもう15年にもなるという。「想い出草紙 二」という和綴じの小冊子を編んだので、父の仏前に供えて欲しいとのこと。お供えのお菓子とともに戴く。下記は父について触れている部分。
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(「想い出草紙 二」から)
私と古典文学 北畑 みち代
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。松尾芭蕉は、みちのく・北陸へ歌枕を訪ねて旅に出た。私が国文学の集いに入会したきっかけは、この奥の細道でした。
講師は田村先生。いつも作務衣姿で講義の前には世間話を、ユーモアを交えて話してくださいました。先生との思い出は月ヶ瀬の一泊の旅です。
宿は「騎鶴楼」、文人墨客の多くの方が宿泊され、部屋ごとに書画・掛け軸・俳句が残されていました。勿論この旅も先生は作務衣姿でした。お酒の好きな先生でした。
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父が亡くなったのは平成16年3月23日。奇しくも、西行法師の亡くなった文治6年2月16日(1190年3月23日)と同じ。柳友が、まだ珍しい桜のひと枝をどこかで求めて持ってきて下さった。柩の上にそっと手向けたことを忘れない。葬儀には遺言通り「さくら貝の歌」など童謡を流し、みなさまにも口ずさんでいただいた。
父が病床で詠んだ、最初で最後の川柳。
わらべ歌送葬曲にとっておく 田村 欣一(南厓)
遮断機の向こうはきっとわらべ歌 たむらあきこ
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今日のブログはしみじみと感動させていただきましたm(__)m
心温まる、といったら的はずれなのでしょうか………
本当にやさしい気持ちになることが出来たのです…ありがとうございました(^^*)v
伊東志乃さま
こちらこそありがとうございます。
身内(とくに親、きょうだい)の死は痛いですが、乗り越えて行かなければなりません。
いまも実家は殆ど手付かずです。処分するに忍びないモノが多いので。
悩んでしまいます。こちらの体力のあるうちに、とは思っているのですがねー。(TT)
おはようございます(^^)
親の家の処分は、今や社会的な問題ですね。
テレビなどでも特集で取り上げているくらいですから。
これがたぶん、言い方は悪いですが、嫁なら思い切り処分するのですが………(^^;)
娘となると………なかなかそうはいかないですね………
伊東志乃さま
はい。
息子の負担にならないように、とは思っていても、捨てられません。10年近く経ってもコレですから…。
自分のモノなら捨てられるんですがね。いまはできるだけ買わないように、身の回りのモノを増やさないようにと心がけています。
芭蕉が、奥羽への長旅を思い立ったのは、元禄2年3月のこと。「この年で遠い異郷の空の下を旅するなど、さぞかし大変な目にあってさらに白髪が増えるに決まっているのだ・・・」と未知との遭遇に期待と心配をかかえながら、家財道具を売り払い、総行程2400キロ、5カ月にわたる芭蕉の旅が始まった。芭蕉といえど旅日記には、結構、数々の愚痴を零しています。そのひとつが【旅の具多きは道さわりなり】
旅とは身軽に、身ひとつで行くもの。旅上手は余計な荷物を持たないこと。大きなカバンに必要以上の日常用具をつめて出かけるのは、
「自分の日常」をひきずって移動しているだけである。
この反省文を見る限り、芭蕉はこの旅に日常を連れていったようですね。旅行業者のキャッチコピーは、”旅は精神の若返り”などと申しておりますが、芭蕉は旅で老けてしまったようですよ。「奥の細道」の題名がこれで理解できました。 (;_・) グスリ
りょーみさすけさま
奥の細道、何で題名が理解?
ま、それは置いて。全行程が地図になっているので、少しずつ歩いてみるのはいいかも、ですね。
電車もバスもない時代、歩いて(あるいは馬で)行くのは大変だっただろうと思います。(栄養剤もないし)
新潟、仙台から北には行ったことがないんですねー。なかなか、漂泊の詩人(川柳人)(?)と言ってもらえるまでの旅はできません。(笑) 怠け者だし。
荷物は、殆ど何も持って行かないです。眉墨を忘れて、これは朝ホテルで弱ってしまった。(4Bの鉛筆でごまかしました)
玉置尚寛です。昨日はお忙しい中個展にご来場いただき有難うございます。次は
卒寿に出来ればとの思いです。ブログをおかりしてお礼申し上げます。
板坂君にもメールで
お礼を伝えておきました。
玉置 尚寛さま
和歌山市にもこういう方がおられたのかと、驚きました。
作品は、一つずつ迫ってくるものがあり、引き込まれました。
次の個展にも是非おじゃましたいと思っています。
コメント、ありがとうございました。 アリ(*^^*)ガト~