Loading...Loading...

 わたしには、まだ結婚していない息子が一人いる。ともに学習塾を経営していた夫と別れ、一人で仕事も子育てもしてきたのね。幼いころ息子にはことばの遅れがあり、かなり心配もしたが、ずっと成長を信じてきた。

 最初ピアノを習わせたのは、もと幼稚園で教えていたという近くの高齢の女性。息子にことばを出させるために通った教室(ご自宅)だった。やさしい先生で、ことばも少しずつ出るようになったが、ピアノのほうはかなりだったのね。教えないでも弾けるということで、そこは二年ほどでやめたのだったか。

 自宅は集合住宅なので、そのあと放課後に小学校の音楽室?のピアノをお借りして弾いていた。先生に「私らは習っても弾けないのに、まあちゃんは楽譜を渡したらつぎの日には弾ける」と言われ、四年生から先生の代わりに伴奏、卒業式などでも伴奏で弾かされていた。

 そのあと音大出の先生に出張教授を頼み、五年生で和歌山市のピアノコンクールに出場。ふだんは非常に速く弾けるのに、先生の「ゆっくり弾いて」との指示でゆっくり演奏、入賞は叶わなかった(あとで聞くと、このコンクールはコンクール前にすでに入賞者が決まっているらしい)。

 つぎに、和歌山では名のある音大出の先生の教室に入った。やはり教えなくても弾けるので、楽譜さえあれば小学校のピアノで練習、当日は教えることがない状態。先生ももてあましておられると思ったので、ここもご辞退。

 全国的に著名な出口美智子先生のところに連れていったのは、そのあと。県庁前のビルの二階(三階?)だったか、ワンレッスン一万円(半時間)ということだった。息子が弾き始めると、「この子は自分の音楽をもっている」「東京芸大に行くなら(出口先生は東京芸大卒)、わたしが授業料をだします」と、驚くようなことをおっしゃった。授業料は半額の五千円にしてくださった。「うちには、隠し生徒がいるのよ」と、ほかのかたにはおっしゃっていたらしい。

 少々声楽も習わせた。「田村君は歌がうまい」と、かれの同級生がわたしに言ってくれたが、それはカラオケでのこと。なんと、かれが歌うのをいちども聞いたことがないのである。

 出口先生のおっしゃる通り、将来は芸大かと思っていたが、中三のとき先生がご病気で倒れられたのね。そのあと別の先生を紹介していただいたが、息子の意思もありそこには行かなかった。

 じつは、中学生になったお祝いにパソコンを買い与えていたのね。「ぼくはこれでいい」と、すぐにそのころからパソコンにはまっていった。独学でC言語?なるものをマスター、中学校では先生に頼まれてソフト?をつくっていた。熱中して勉強に差しさわると思い、担任に苦情を言ったこともある。

 しかし中学校でも、ピアノは文化祭などで演奏。担任からの「みんな聴き入っていますよ。お母さんも聴きに来てください」との電話で、急いで中学校の講堂(兼体育館)に走ったのね。録音しているので、残っているだろう。ジャズピアノだった。

 そのあと本格的なピアノは諦めたのね。息子は、ひょっとすると費用のことでわたしに遠慮したのかもしれない。大学・大学院も国立の情報工学系。さいごまで授業料無料・奨学金で出た。しかし、親としてはいまもそのことを口惜しく思っている。「遅くない。もういちどピアノを弾かない?」とたまに持ち掛けてみるのだが。子育てで、いちばん悔いが残っているのはこのこと。いかにも残念過ぎる。

ポストする LINEで送る ブックマーク
❤️ ひざポン
ありがとう!

気軽にポチっと
どうぞ(無記名)

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K