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人にも神にも死がある。

死ぬことは、消えることではない、多分隠れることなのだろう。
山に、岩に、雲に、そして草葉の陰に。

 上記は、神職・小堀邦夫氏の詩だが、辞書で「隠れる」を調べると、下記の通り。

1 物の陰になったり、さえぎられたりして見えなくなる。「月が雲間に―・れる」
2 身を人目につかないようにする。「物陰に―・れる」
3 表面・外部から見えないところに存在する。ひそむ。
4 (ふつう、「隠れた」の形で)世間名前や力が知られないでいる。また、官職につかないで民間にいる。
5 世をのがれて、ひそむ。隠遁 (いんとん) する。「山に―・れる」
高貴な人が死ぬ。現代ではふつう「お隠れになる」の形を使う。

 いつかは死ぬ。それまでこの世で経験する死はあくまで他人(ひと)の死で、自身の死ではない。自身の死の瞬間、死の主体は消滅、この世にいないからなのね。他人の死を通じて想像する自身の死、その死を見つめることは、いま現在をいかに生きるかを真摯に見つめ直すことになる。この想いを死生観というのね。

 生の対極として、果てにかならず来る死というものをどうとらえ、どう受け止めるかということは、川柳を詠むうえでも普遍性のあるテーマだということができる。日本文学の中で、死はどのように表現されているか。われわれの祖先は、死ぬことをどうとらえていたのか。それは、具体的には死をあらわす動詞に端的に表れていると思うのね。その動詞の一つが”隠れる”なのである。

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