口先だけうまく、顔つきだけよくする者には、仁者はいない。「巧言(こうげん)」は「言を巧(たく)みにす」とも読み、ことばを飾っておべんちゃらを言うことなのね。「令色(れいしょく)」は顔つきを柔らかにすること。「鮮」は、めったにない。人格者(仁者)はむしろ口が重く、愛想もないということ。
孔子の理想とした「仁」という道徳については、『論語』の中で、さまざまな角度から説かれている。弁舌だけ、うわべだけの追従(ついしょう)者は、仁の反対にある者とされているのね。(ここで、ふっと投資信託押し売りのK銀行の行員たちの顔が浮かんだ。)
「巧言令色鮮(すく)なし仁(じん)」は、27日にひさしぶりに会った畏友の口からでたことば。これは、ある有名神社の、カネ塗れの俗悪な宮司(ら)のことなのね。そういう人たちとは相容れない畏友は、神宮の重鎮として、いまは10年後の式年遷宮の準備(勉強会)にとりかかられている。
氏のこれからの出版予定は、さいごの歌集を編むこととか。「いままで生きてきていちばんの感銘を受けたことは」と問うと、「あるようで無い」。「いちばんの出会いは」と問うと、「人に言うことではない」と。この日、おねがいして車で連れていっていただいたのは桜満開の「やすらぎ公園」。教えていただいた通り、神式の拝礼でご両親のお墓に手を合わさせていただいた。
Loading...

















































