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 山頭火はいろいろな名言を遺している。俳人だが、川柳人であるわたしとはいくつか被るところがあるのね。山頭火の自由律は、わたしの川柳とどこか共通点がある。たぶん、人間存在の絶対的孤独など、句のテーマがおなじなのね。川柳の「うがち」は、動詞では「穿つ」、穴を開けること。表面からは見えにくいものや、だれもが見落としているようなことに目を向け、常識を剥ぎとる。それが風刺や批評につながるのね。

人生は奇蹟(ミラクル)ではない、軌跡(ローカス)である
溢れて成った物は尊い、絞って作った物は愛せざるをえない、偽って拵えた物は捨ててしまえ
私達は別れなければならなくなったことを悲しむ前に、理解なくして結んでいるよりも、理解して離れることの幸福を考えなければならない。

 上記は、随筆『砕けた瓦(或る男の手帳から)』から。日本では、最近まで、夫婦のまま長生きする「共白髪」を理想としたのね。江戸時代の離婚は、現在とおなじく協議離婚がほとんどだったというが、離婚するにあたって夫が妻に三行半(みくだりはん)を差出すことが義務付けられた。三行半がない離婚は処罰の対象とされた。ちなみに妻には離婚権がなく、尼寺が縁切寺として、寺の権威によって夫側に離縁状を出させる仕組みになっていたのね。

 いまは、合意さえあれば、役所への届出で簡単に離婚できる。山頭火は妻子を捨てているので、上記赤字部分のような考えに至ったのだろう。この一文は「理解して離れることの幸福」と穿っているところがいいのね。結婚生活に苦しんでいる人へのエールにもなる。山頭火のことばは、真実へ穿っている。川柳に近いのね。

まつすぐな道でさみしい
どうしようもない私が歩いている
生死の中の雪ふりしきる
濁れる水の流れつつ澄む
おちついて死ねそうな草萌ゆる
また見ることもない山が遠ざかる
また一枚脱ぎ捨てる旅から旅

 上記は、自選句集『草木塔』から。口語であり、句の内容も充分に新しい。そのまま現代を生きる孤独なわれわれの心の中に入ってくる。

私は近来、人間に食傷したようだ、私はまだ人間を全的につかんでいないのだ、これでは旅にでるより外はない
歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしいけれど、一人で歩き一人で飲み ひとりで作っていることはさみしくない

 上記は、『山頭火のぐうたら日記』から。

理解のない人間に会うよりも、山を見 樹を眺め 鳥を聞き 空を仰ぐ方がどのくらいうれしいかは、知る人は知っている。

 これも『山頭火のぐうたら日記』からだが、共感できる。

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