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 古事記は、日本最古の歴史書。和同5年(712年)に太安万侶が編纂。上中下の3巻で、出雲神話を重視。神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの出来事が、神話や伝説などを含めて記載されているのね。稗田阿礼の「誦習」は、単に「暗誦」することと考えられていたが、「文字資料の読み方に習熟する行為」であったことが確かめられているとか。

古事記
……
しかし、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が機屋(はたや)で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ血まみれの馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここで天照大御神はついに怒り、天岩戸(あまのいわと)に引き篭った。高天原(たかまがはら)も葦原中国(あしはらのなかつくに)も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。

そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神(おもひかねのかみ)の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせた。
……
これを聞いた天照大御神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

天宇受賣命が「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命(あめのこやのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が天照大御神に鏡を差し出した。鏡にうつる自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神(あめのたぢからおのかみ)がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

すぐに布刀玉命が注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうして天照大御神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
……

 上記、日本人なら誰でも知ってる天岩戸の話。神話に重ねて十四字詩で「日本人である私」を掘り下げ、詠んでまいります。

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