和歌山市の番傘とらふす誌に掲載の「啄木鳥抄鑑賞」。私の鑑賞文の第1回目が掲載されている1月号を昨日の句会で頂戴した。私の方で校正はしていないが、誤植も見当たらず、ほっとする。誤植まみれで掲載されてしまう不快感をかつて味わっているので、丁寧な仕事にまず安堵。これから、和歌山の川柳をときどきご紹介したい。
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啄木鳥抄鑑賞
いくさへの呻きが無言館に住む たむらあきこ
枝はらう庭木に痛さきかないで 大岡 萬坊
「枝」は払われる度にどんな悲鳴を上げていることだろう。もの言わぬ「庭木」の痛みを感じ取れる作者。
過去形でつぶやいてみる好きでした 岡内 知香
「好きでした」。いまは好きではない、ということではない。告白をしたわけでもない。いまさら「好き」と言うこともできずに、相手のいまを見詰めている。
飾るもの何もない身で畑仕事 上地登美代
「飾るもの何もない身」と、心は内側に向いている。内省的な性格で、「飾る」ことの虚しさも理解している。「畑仕事」に嘘のない身の置き場を見出したようだ。
あきらめずわらを一本ずつつなぐ 川上 智三
「わら」を繋いでゆくような人生。頼りないものだが、何かに寄りかかるというわけではない。
宅配が疲れた顔で届いてる 北山 絹子
長旅をしてきた「宅配」は、包装紙が薄汚れてでもいたのだろうか。作者は、「疲れた顔」と、擬人化して詠んでいる。物の心になれる繊細な心。
さみしい日自縄自縛の嘘をつく 﨑山 千代
「嘘」をつくことが、「自縄自縛」につながることを、分かっている。分かっていても、相手の気を引くような「嘘」を言ってしまうところに、人間の弱さがあるのだろう。
オープンガーデン幸せなのですね 佐藤 倫子
作者は、不幸せというわけではないが、少々の不満を感じながら生きているふつうの主婦。通りがかった家の「オープンガーデン」の、いかにも「幸せ」を誇示するようなかたちを、いささかの揶揄を込めて見ている。
鳴き切った蝉ようつつはどうでした 田中 祐子
「蝉」はもう一期(いちご)を鳴き終えて転がっている。精いっぱい生きた「蝉」だとは思うが、そんな「蝉」にさて「現(うつつ)」はどうでしたかと訊いてみる。
教会の木椅子で骨を鳴らしている 辻 スミ
「教会の木椅子」は作者の居場所の1つ。精神的な拠り所でもある。老いて、「骨」がぽきぽきと鳴るのである。そんな自分を見詰めている作者の眼。
あなたとの夢をみたくて昔をおもう 辻 翠子
今晩みる「夢」のなかで「あなた」と一緒でありますように。そんな「夢」をみたくて、楽しかった「昔」を思い返しているという。
たった一つの取得笑顔をもみほぐす 長岡 笑子
驕ることのない作者は、自分の「取得(とりえ)」を「笑顔」だけであると言っている。その「笑顔」を「もみほぐす」。明日へ向かって生きていくという意志ととれる。
歩いてて往きか帰りか分らない 半井 酔粋
「歩いてて」。<い抜き>のふだんの言葉遣いのなかに飾らない真実の声が出ている。「往きか帰りか分らない」。老いの嘆きか。
金平糖の角にはだれも背けない 馬場 明子
甘い「金平糖」の「角(つの)」なら、誰にも背かれることはない。
当分は逝けぬ病に勝つために 早井つや子
「当分は逝けぬ」理由が「病に勝つために」。アイロニカルな詠み方。
寒い日はリップサービスでも欲しい 日野 愿
心が「寒い」日は、「リップサービス(お世辞)」であっても、少しは温めてくれる。
オリンピック済んでニュースが暗くなり 前野喜美子
「ニュースが暗く」なったわけではない。「オリンピック」で心が浮き立っていた。反動として、そう感じられたということ。
重箱の隅に噂が引っかかる 三宅 保州
「重箱の隅」を楊枝でつつく、という。それを下敷きにして、ほんの些細なことの「噂」がつつかれていると言っている。
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鑑賞文を書くのは、ものすごく難しいと思う。2週間ほど前の事。大西泰世さんに会いました。そのとき、”大樹揺れやまず” の句について、「大樹とは、新子さんのことですか?」と訊ねました。泰世さんは、「違うんですよ・・」と言い、それは、まるっきり新子さんに関係なく、少し経緯を聞かせてもらいました。その句の解釈は私の間違いだったのですが、反面、「こういう見方もある!?」ということを、作者に伝えることになったのではないだろうか???(ノ_<。)
りょーみさすけさま
どこで会われたんですか? また瓦版にも来ていただけるといいですねー。
ところで、2月8日はあかつき句会、さすけさまの選ですよねー。泊り込みで応援に参ります。6日、7日、8日と連日句会です。